1942年4月号表紙。時局により、この号をもって廃刊となった。表紙は「○○基地に於ける我が海軍爆撃隊の勇士」※○○は記載どおり
1940年12月号表紙。右下に「法を守って楽しくパチリ」と記述がある
1941年1月号から。写真と文を記している秋山青磁は日本の「家族写真」の先駆的存在。写真家の秋山亮二はその息子
1941年2月号から「寫眞持廻り座談会」
同号掲載の福原信三(右)、福原路草(左)の作品。締め付けが強まるなかアマチュアクラブ発の優美な写真は読者への福音だった
1940年4月号から。写真家紳士録的な記事では安井仲治の人柄を伝える
1941年10月号の戦争特集から。日大の学生たちが撮影した臨戦銃後都会の報告
1941年3月号の月例懸賞作品から。若き大竹省二の作品「銃後の私」を掲載