当時、お茶の水女子大の4年生だった日高麻子は、どうしても集英社で『MORE』の編集に携わりたくて、応募した。
『MORE』の創刊号。同誌は、エリカ・ジョングを日本に呼びホテルオークラで「国際文化セミナー」を創刊記念事業として開いている。