200キロを超す巨体を武器に、千代の富士、北勝海という九重部屋の2横綱を向こうに回して横綱に昇進した大乃国だが、減量の失敗やヒザのケガなどに悩まされて不振が続いた。1989年秋場所は、7勝7敗で迎えた千秋楽、北勝海に敗れて、横綱が皆勤して負け越すという、1場所15日制になってから初めての屈辱にまみれ、引退を申し出た。

 しかし、二子山理事長(元横綱・初代若乃花)から「一から出直せ」と慰留され、辞意を撤回。どん底からの再起を目指した。1場所全休した後、1990年初場所は8勝7敗と何とか勝ち越したものの、千秋楽に千代の富士に外掛けで敗れた際に左足首を骨折し、以後4場所連続全休。しかし、背水の陣で臨んだ同年九州場所は10勝、1991年初場所も10勝で乗り切ると、春場所は巨体を利して前に出る「大乃国の相撲」が復活。優勝争いに加わり、14日目には北勝海との1敗同士に臨んだ。結局、この大一番に敗れ、復活優勝は遂げられないまま2場所後に引退したものの、7勝8敗という苦い経験を乗り越え、賜盃にあと一歩までこぎ着けたことは称賛に値する。

 横綱に昇進した力士の相撲は、他の力士にはまねできない、その横綱ならではの魅力にあふれている。横綱の責任とは、優勝や勝ち星の数という結果より、そんな相撲を見せることにある。横綱が休場しても番付が落ちないのは、引退へと追い込むためではなく、しっかりと体を治し、魅力的な自分の相撲を取り戻す期間を与えるためだ。稀勢の里の場合、新横綱場所での負傷以降、一度も「稀勢の里の相撲」を見せられる状態になかった。だからこそ、休場し、療養を重ねてきた。裏を返せばそれは、いつかまた、自分の相撲を見せる日がくると、稀勢の里自身も周囲も信じてきたからだ。

 大乃国の姿で印象的なのは、いかに苦しくても「15日間取り切った」ことだ。史上初の横綱皆勤負け越しを喫した場所、千秋楽を迎える以前に休場するという選択肢もあった。しかし、それをせずに千秋楽まで土俵に上がり続けた。そして、再びの優勝こそならなかったものの、「大乃国の相撲」を再び見せるところまで復活した。稀勢の里は、新横綱場所での劇的な優勝の後、15日間皆勤した場所が1度もない。ケガの状態などもあり、仕方ないことなのだろうが、もしもこのまま、再び「稀勢の里の相撲」を見せることなく引退してしまったら、寂しい。

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「もう一度、「稀勢の里の相撲」を!