三塁ベース手前に落ちた打球は、本来なら三塁手が難なく処理するところなのに、誰も守っていなかったことから、ベースの内側を通過して無人のファウルグラウンドを転々。ショートの守備位置まで移動していたサード・興津立雄がやっとボールに追いついたとき、王は悠々と二塁に達していた。王の“バント二塁打”はもちろん前代未聞の珍事である。

 しかし、パーフェクト阻止の一打も、後続が凡退し無得点。王自身も「(相手がいないところを狙うのは)すっきりしない。気持ちのいいものではない」と浮かない表情だった。

 王シフトを敷いたのは、セリーグのチームだけではない。V9時代の巨人に何度も挑戦を退けられた阪急・西本幸雄監督があっと驚く奇策で王に対抗したのが、1972年の日本シリーズ第1戦(後楽園)だった。

 巨人が3対1とリードの3回、1死から王がこの日2度目の打席に入ると、ショート・大橋穣がクルリと背を向けてセンターの定位置へと走った。センター・福本豊も右中間に移動する。内野も二塁手が極端な一塁寄りに守り、三遊間を守るのは三塁手一人だけというシフトを敷いた。スタンドからも思わず「オーッ!」というどよめきが起きた。

 3万8千人の観衆が固唾をのんで見守るなか、王はカウント1-2からセンターの右に高々と飛球を打ち上げた。大橋が手を挙げながら、バックスクリーン手前までゆっくりと走り、難なく打球をグラブに収めた。推定飛距離約115メートル。史上最長距離のショートフライだ。

 だが、王は「阪急が外野を4人にするシフトをやると聞いていたから、戸惑うことはなかったよ」とさほど意に介していない様子。

 結局、試合は初回に王の右中間二塁打などで3点を挙げた巨人が5対3で勝利した。

 阪急にとって惜しまれるのは、1点を先行して迎えた1回裏1死一塁で王を迎えた際に、シフトを取らなかったこと。このとき、外野4人体制で守っていれば、王の同点二塁打は、右中間を守る福本が捕球していたはずで、巨人が4勝1敗で制したシリーズの流れも変わっていた?

次のページ
コント顔負けの“珍敬遠”シーン