もしも今回の自民党総裁選のことを書くとしたら、立候補できなかったり、立候補を見送ったりした政治家に、同じ言葉をぶつけるのではないか。難しい病気の患者ならば「どうするのが体に一番いいのか」というシンプルな目標に沿って時間の使い方を決め、全力を尽くしている。それに比べて政治家の本気度はどうか――と。
がん患者としての実感が言葉にこもるほど「バカのひとつ覚え」のような文章に映るとしたら、やるせないことだ。
◇
この連載は昨年9月に始まった。初めは体調不良で休載すると見込んでいただけに「休まない」ことが目標だった。ところが意外にも、一度も休まないまま2年目を迎えることになった。休まないことは読者にとっても意味があるだろうか? たまたま読者の女性からメッセージをいただいたのを幸い、率直に疑問を投げかけた。
ほどなくスマートフォンに返事が届いた。
「読者にも継続の意味、あります、あります!」
ありがたいことに彼女は、コラムが公開される土曜日を楽しみにしてくれていた。そして次の土曜日までの1週間、「しっかり味わって生きることを意識しだした。」という。コラムの内容を味わうだけではない。「そこから自分の生についても考えるんです」と。
書いている私と読んでいる彼女が顔を合わせたことはない。それなのに、それぞれにコラムを軸にした1週間があり、互いにシンクロしている。そう考えると、不思議な気がした。
「コラムを書く野上さんの隣や周りに、今はたくさんの人が一緒に歩いている。そんな想像をしています」。画面上の文字に、空想がふくらんだ。
がんを抱えている私が先頭に立ち、「こっちに進め」と教え導いているのではない。ただみんなが同じ方向へ、おそらくは笑顔を浮かべながら、ゆっくりと歩んでいる。
そんな温かくすがすがしい風景が、脳裏に広がった。