甲子園通算100勝を達成し、握手する原田英彦監督(左) (c)朝日新聞社
甲子園通算100勝を達成し、握手する原田英彦監督(左) (c)朝日新聞社
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 教え子たちが、歓喜の輪を作っている。目の前のシーンを見つめながら、監督の原田英彦はうれし涙をこらえることができなかった。

「紫におう 雲のかなた」

 龍谷大平安おなじみとなった校歌が流れると、白いタオルで何度も何度も顔をぬぐった。涙は、もうとどめようがない。

 分厚い胸板を揺らし、原田が選手たちの後を追うように、一塁側アルプスの方向へ走る。スタンドが一斉に沸いた。選手たちが、うれしそうに監督の顔をのぞき込んでいる。2018年夏、龍谷大平安の「勝利の儀式」が待っていた。

「お前たち、最高だぜ」

 右手を突き上げた原田に合わせ、選手たちが甲子園の土で真っ黒になったその手を一斉に突き上げた。

 龍谷大平安、甲子園春夏通算100勝。

 史上2校目となる「100勝」の大台到達は、1908年創部の伝統校にとっての悲願だった。春夏通算74回の甲子園出場、夏3度、春1度の全国制覇。「HEIAN」の胸のロゴは、強さと歴史の象徴でもあった。

「僕は、誰よりも平安が好きなんです」

 幼少期から憧れ続けた母校・龍谷大平安を誰よりも愛すると自負する原田にとって、その「平安愛」はプライドの裏返しでもある。

「だから、100回大会の甲子園に平安が出ないなんて、しゃれになりません」

 原田のその言葉に、反発する高校野球関係者の声も聞いた。思い上がりとも受け取られかねない。ライバル校にとっては、これ以上の挑発的な台詞もない。それでも、原田は固い信念のように言い続けた。

「100回大会で100勝」

 その58歳が発散し続ける『熱さ』は、世代の違う選手たちには、ついて行けない部分があるのかもしれない。原田がその“世代間のギャップ”で言葉が通じないという悩みを珍しく漏らしたのは、2016年夏のことだった。その春、龍谷大平安は甲子園でベスト4に進出。甲子園通算99勝に到達していた。

「夏は全国制覇して、100勝」

 原田は燃えていた。ところが、対照的に選手たちの気持ちが、なぜか盛り上がってこないのを感じていた。

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原田監督が漏らした“弱音”