終演後、豪さんには「ホントにやったんだね、四季の演出。観に来るまでドッキリじゃないかと疑ってたよ」と軽口の冗談を言いながら、「面白かったよ。とにかく、面白かった」とだけ伝えた。そして豪さんは四季の演出をしたことを「愉しかったよ。とにかく、愉しかった」と力強く言った。2人が話す、すぐその横に、浅利慶太さんの遺影が静かに佇んでいた。

 僕は今、生まれて初めてのミュージカルの稽古に入ったばかりだ。歌ったことも、踊ったこともない僕がミュージカルの出演を決めたのは、「二朗さん、僕らはいくつになっても新しい可能性を諦めちゃダメなんだよ」という演出家・福田雄一の一言だった。ごめんなさい、こんなよさげな言葉じゃなかったかも。こんなこと言う柄じゃないし福田。でもまあ、大体こんなようなことを言われた。そして福田と豪さんは同い年。僕は1つ下。いずれも50近辺のオッサンたちだ。諦めずに少しでも高みへ。先人たちの名に恥じぬよう。それがウジウジモヤモヤしてた20代の頃の僕らに対する礼儀であり、あとに続く後輩たちに唯一見せることができる、僕の背中だ。(文/佐藤二朗)

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