まずは週刊誌『AERA』に頼ることにした。長くない記事を読んでいけば、長いものも読めるようになるのではと踏んだが、効果はなかった。一方、月刊総合誌『文藝春秋』を1日で読み通せたこともあった。その厚さに、わずかに自信が芽生えた。
読めなくなる前に手にした本に、明治時代の思想家、内村鑑三の『後世への最大遺物』がある。入院中に同期の記者からもらい、何かを残した人への関心が心の中でくすぶっていた。
自宅の本棚にあった『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子著)にひかれたのは、治療や検査をめぐり、選択が続いた日々からの連想だろう。
二つが結びつき、本棚にあった『山県有朋』(岡義武著)を手に取った。戦争の中核となる陸軍制度を残した人物であることは言うまでもない。
これが、「読めない」日々を抜け出すきっかけになった。試行錯誤の末、昨年3月には大手の本屋で目についた本を興味のおもむくまま買い込んだ。少しずつ頭の霞は晴れていった。
「明治の元勲」が効くのは私ぐらいだろうか。ただ、かつての習慣や関心はいざという時に助けになるのかもしれない。
これに対し、「息苦しい」は打つ手なしだった。病院で酸素濃度をはかっても、酸素は足りているという結果ばかり。そもそも症状とみなされなかった。
こちらは努力のしようもない。それで放っておいたのがかえってよかったのか、いつの間にか意識から消えていた。
思い起こせば、院内で感じた息苦しさは、気にするほど増していたように思う。「気にしないから苦しくない」「苦しくないから気にならない」。二つが相まって解消されたように思う。
それにしても、追い詰められていたころの自分はひどかった。ものでも、ほかの患者でも、目にすると不愉快でたまらない。心の中を配偶者に聞いてもらい、気を紛らわせた。
また体がしんどくなれば「前科」を繰り返すだろう。それを少しでも抑えるために、今のうちに自分に言い聞かせる。
あらゆる手を打っても、残る苦しみは残る。それには耐えるしかないのだ、と。