「本当の旅とは、言語と貨幣が通じないところにいくことなのかもしれない」というようなフレーズを何かの本で読んだが、志麻子を見ていると「言語が通じなくて貨幣だけが通じる恋」というのもシンプルでいいものなのかなあ、と思ったり。私には真似ができないが、17年来の愛人であるベトナム人のグエンくんと今もなお抱き合うためにだけホーチミンに飛ぶ志麻子の姿を見ると、セックスでつながることに重きを置かない自分が、「まだ本当の恋を知らんのじゃの」、と言われているような気さえして、劣等感に苛まれることがある。
トウチャンが死んだときの志麻子の対応も、彼女らしかった。言葉を尽くして慰めることはせず、おどおどと目をそらしながら「ゆかりちゃん、大変やったなあ……」と早口でつぶやき、あとはずっと黙って隣に座ってくれた。そして、寂しさと虚無で苦しい日々を過ごす私からの誘いはただの一度も断らず、酒席でずっとバカ話をしながらも、ふと訪れる沈黙を埋めるように「トウチャンもゆかりちゃんもお互いに大好きやったもんなあ」「ええ男やったのぉ」と早口でつぶやくような、そんな不器用な慰め方をしてくれる志麻子をやっぱり私は大好きだと思った。
最後に付け足すようになるが、志麻子は名文家だ。作家としての力量も素晴らしい。だからこそ、ヒョウの恰好をしておどけている志麻子の中にふつふつと煮えたぎっているはずの狂気と孤独のマグマを100%炙りだしてくれるような小説を、そう遠くない未来に小説家、岩井志麻子から必ずもぎ取りたいと切望している。作家と編集者の友情とはそういうふうにできているのだ。(中瀬ゆかり)