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「音楽の聖地」と呼ばれる中野サンプラザが解体をめぐり揺れている。3日に告示された中野区長選(10日投開票)に4人が立候補。区は中野サンプラザと区役所を解体し、1万人規模のアリーナを中心とする集客施設を建てる方針だが、5選を目指す現職以外の3人は「存続」「名前や形を継承する施設にする」などそれぞれに再考を訴える。若手芸人も多く集う地域で、カンニング竹山さんも「中野がなければカンニングは生まれなかった」と語り、"第二のふるさと"の選択に注目している。
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21歳に相方(中島忠幸)とカンニングというコンビを組んだころは、夜中に中野サンプラザを見上げながら駅前広場で毎日稽古をしていました。サンプラザのホテルが入っていると知って「いつの日かあのホテルに泊まりたい」と思いをはせながら。実際、金ができて泊まれるようになったころに、意外と宿泊料金が安かったってわかって、結局1度も泊まったことないんですけど(笑)。その場所には僕ら以外にも毎日サックス吹いていたり、棍棒持って少林寺拳法みたいなのを練習したりしている兄ちゃんや姉ちゃんがいて、「今日も練習しているんですね」って夢を語り合ったりとかしていました。その場所は再開発で無くなってしまったけど、夏は蚊取り線香持って、雨の日は駐輪場に入ってやっていましたね。
実は、カンニングというコンビは中野で生まれたんですよ。なかの芸能小劇場でブッチャーブラザーズさんが月1で「東京ビタミン寄席」っていうライブをやっていて、その様子を中野のケーブルテレビが放送するようになったんです。カメラが劇場の上の方に2台ぐらい置いてありましたけど、そのころ僕らはテレビなんて全然わかんないから放送禁止用語をガンガン言っていたわけです。「テレビカメラが何だ、コノヤロー!」って。だから放送ではピー音がたくさん入っていて、そこで客がドカンと笑っているから、視聴者が「カンニングってなんだ?」「何を言っているんだ?」って劇場に足を運んでくれるようになり、行列ができるようになったんですよ。