芸人って普通は楽屋に入ったら壁に向かって稽古するんだけど、俺らはライブの前に上の稽古場で誰にも見られないように2人で稽古して、楽屋では何もやってませんよって装って、いきなり本番に入るんですよね。後輩たちには「よく稽古しないで、そんなにできますね」って言われてましたけど、めちゃくちゃ稽古してた(笑)。それを見せないのが2人のポリシーでした。
そのころ「中野のスター」って呼ばれるようになって(笑)、全然売れていないのに中野の駅前だけで顔を指される時代があったんですよ。中央線に乗って新宿まで行くと全然指されなくなるんだけどね。
僕は5、6年前に区外に引っ越すまで、上京して20年以上ずっと中野区に住んでいました。番最初は西荻窪(杉並区)でしたが、高円寺に住んでいた先輩に「こっちに出てこいよ」って誘われて、道路を渡ったらすぐ中野というの場所に引っ越したのがきっかけでした。それから駅前だけじゃなく区内のいろんなところに転々と住んでいましたね。
若手のお笑い芸人が中野に集まるのは理由があったんです。若手はアルバイトとライブしかやることなくて、ライブは新宿か渋谷か中野なんですよ。そうすると家賃が安い中野に住むことになる。当時は風呂なし物件もまだあって、交通も便利、飲食店もいろいろあるし、遊べてデパートもある。住んでみると、中野を離れる理由が無くなってくるんですよね。最高に売れていたときは、結局ちょっと新宿寄りの中野坂上のマンションに住んでいましたから。新宿の摩天楼が見えるし、「中野じゃありませんよ」って雰囲気出しながらも、中野は離れられないみたいな(笑)。いまは区外に引っ越してしまいましたが、すべては中野から始まっているんですよね。
中野でバイトして、中野で飲み、中野で稽古して泣き、笑いしてきた。僕にとっても第二のふるさとですよね。中野がなかったらカンニングは生まれなかったなと思う。だから、中野サンプラザは僕らにとってもシンボルタワーなんです。
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