金字塔に王手をかけてから、14打席もヒットから遠ざかった。右打者として、シーズン3割7分8厘の史上最高打率という記録を保持している現役最高の右バッターが、たった1本のヒットを打つために、これだけ苦しんでいる。
この記録はそれだけ偉大なのだ。
史上51人目の通算2000安打。ソフトバンク主将・内川聖一が球史に燦然と輝く、また新たな記録を刻んだ。
2018年5月9日、埼玉・所沢。西武の本拠地・メットライフドームが内川を祝福するための舞台と変わったのは、8回のことだった。
2ボールからの3球目。西武の左腕・武隈祥太の投じた127キロのチェンジアップが外角高めへ浮いた。逆らわず右方向へはじき返したライナーが、セカンドの頭を越えた。内川らしい、基本に忠実な、技ありの一打がセンターの右で跳ねた。
時が、止まった。
「やっと、やっと打てた、しんどかったな……というのが今の素直な思いです。まずは、いつも支えてくれる家族、チームのみんな、ファンの皆さんに『本当にお待たせしました。ありがとう』と言いたいですね。試合中なのにお祝い頂いた、王会長と松井稼頭央さんにも感謝です。驚きました」
背番号7。西武の顔・松井が花束を持って歩み寄ってきた。先にこのマイルストーンを通り抜け、今なお現役にこだわり続ける先人からの祝福に、内川は何度も頭を下げた。
続いてグラウンドに登場したのは、王貞治だった。2010年オフ、横浜からFA権の行使を決断した内川との交渉。最初の会談から球団会長の王が席に着いた。ホークスにとって『王貞治』という存在は唯一無二、そして、最大にして、最高の存在である。
1994年、駒大進学を決意していた別府大付高の捕手・城島健司をドラフト1位で強行指名すると、その翌日、ダイエー監督だった王は城島を直接訪問して、獲得への熱意を伝え、若き城島の心を即座に翻意させた。
2001年、巨人への憧れと、地元球団のダイエーとの間で心が揺れていた寺原隼人の獲得へ、4球団が競合したドラフト会議で自ら抽選に挑んだ。そして、当たりくじを引き当てると、その翌日に宮崎へ飛び、寺原を口説いた。
2006年オフ、小久保裕紀が巨人からFA宣言したときには、胃がんの手術直後でありながら、FA交渉解禁直後の席に自ら立ち会った。「戻って来てほしい」と伝え、小久保は古巣復帰を即座に決めた。
王が、自ら動く。それは野球人にとって、イコール「最高の評価」だ。
自らの能力を高く評価して、博多の地へ導いてくれた恩人が、敵地の球場まで足を運び、花束を手に、内川の元へ歩み寄って来た。これ以上の祝福は、ない。