あの決断は、間違っていなかった--。

 当時、3年連続最下位だった横浜からソフトバンクへ。負け慣れた集団から、常勝軍団へ。勝ちたい。その思いを叶えるために選んだ新天地。しかし、内川にとって、ホークスは決して甘い場所ではなかった。

 「最強の右打者」と呼ばれ、王が認めた男ですら、ポジションを空けて待ってくれているような場所では、決してなかったのだ。

「とんでもないところに来てしまったのかな……と」

 2011年2月。移籍1年目の宮崎キャンプ。一塁には、小久保がいた。西武時代の2002年にリーグMVP、本塁打王と打点王を1度ずつ獲得した経験のある助っ人アレックス・カブレラも移籍1年目のその年、一塁とDHの座を狙っていた。

 外野には、かつての3冠王・松中信彦をはじめ、その前年に27本塁打を放った多村仁志、巧打者の長谷川勇也、オリックスロッテと日本での実績も十分な助っ人ホセ・オーティズと、そうそうたるメンバーが名を連ねていた。

 内川が入ることで、競争はさらに激化する。それは、争いに敗れ、レギュラーから外れる選手が出てくるのと同義だ。超ハイレベルな定位置争いの中、シートノックで内川の入るポジションは毎日のように、それどころか、同じ日に複数のポジションを守る日もあった。レフト、センター、ライト、ファースト、サード……。

「ポジションがダブる人は、危機感があるだろうからね。どこでもやれるというのはいいことだよ。ベテランは選手寿命が延びるし、若手にはチャンスが広がる。本人たちには、プラスになるということだ」

 王は、内川の必死な、がむしゃらに練習に取り組んでいる姿を、実にうれしそうに見つめていた。

 ある日のシート打撃でのことだった。レフトを松中が守っていた。そこへ、内川が向かった。しかし、松中は動かない。もちろん、内川も遠慮しない。レフトに、2人が立っていた。

 譲らない--。意地とプライド。熱い火花が散っていた。恐るべき競争心。内川はそこに、ホークスの強さを感じた。

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これが勝つチームなんだ…