この手術後は、慎重なリハビリが必要とされる。

 術後から「18カ月」で完全復活ともいわれる。ただ4年間の大学生活で、綿密なスケジュールに基づいた1年半という、それだけの余裕が見いだせないというのはあるだろう。

「うまくリハビリをさせてもらえなかったところはありました」

 投げられない。バットも振れない。練習すら満足にできない。その苛立ち。さらに、周囲の厳しい目。様々な軋轢も起こる。

「気持ちが離れてしまって……。野球をしたくなくなって、練習にも出なくなりました。行く気がなくなってしまったんです」

 大学へ行くという“意味”も見いだせなくなった岸は、野球からも離れることを決断する。

 昨夏、3年途中で大学を中退した。

「きっぱり、野球を離れようと思っていました」

 もう、いいや……。
 
 失意の岸に、すかさず声をかけてきたのは、徳島・南啓介球団社長だった。

「ウチでやらないか?」

 徳島は、トレーニングやコンディショニングを重視している。球団が経営する整骨院があり、リハビリやウエートトレーニングの施設も充実させている。

 そこで、リハビリにきっちりと取り組みながら、独立リーグでプレーをすればいい。徳島は、昨年11月のドラフト会議で、岸を4位で指名した。

 まだ投げられない自分を、獲ってくれた―。

 再出発を決断するのに、時間はいらなかった。

「トミー・ジョン手術をして、本格的なリハビリをしてなかったんでしょ? たぶん、リハビリに失敗しているんでしょう」

 監督の石井貴は、西武で14年間、エース格として活躍し続けてきた実績がある。右肩痛に悩んだ2004年、シーズンで1勝に終わりながら、日本シリーズで2勝を挙げ、シリーズMVPに輝いたという“復肩の実績”もある。

「今年は、バッターでいこう」

 石井は、岸に“ピッチャー封印”を告げた。

 岸に異論はなかった。

「二刀流とかにこだわりがないんです」

 そもそも、野手としてのプレーが好きだった。投手兼任だと、塁に出て全力疾走すれば、次の回の投球に影響するかもしれない。怪我の恐れから、スライディングもちゅうちょする。その“制限”が、岸には物足りなかった。

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野球の楽しさを“再確認”