
2018年シーズンが開幕して約1カ月が経ち、連日熱戦が繰り広げられているが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、80~90年代の“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「たかがあと1人、されどあと1人編」だ。
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9回2死までノーヒットノーランに抑えながら、あと1人に泣く。そんな悲運を一度ならず二度も味わったのが、ロッテの仁科時成だ。
1983年8月20日の近鉄戦(川崎)、仁科は近鉄打線を9回2死まで無安打1四球に抑え、打者・仲根政裕を1-2と追い込んだ後、ファウルチップに打ち取った。だが、三振で記録達成と思われた直後、捕手・土肥健二が落球したため、仕切り直し。そして、仲根は1球ファウルした後の仁科の99球目を右前安打。この瞬間、ノーヒットノーランは幻と消えた。
あと1球に泣いた仁科は「3回過ぎから意識してしまった。早いうちに打たれておけば、こんなドキドキしなくて済んだのに、くたびれ損です」とガックリ肩を落とした。
ところが、運命のいたずらか、翌84年5月29日、相手も同じ近鉄戦(日生)で、仁科は再び9回2死まで無安打に抑える。
だが、平野光泰に投じた115球目の真ん中高めスライダーが、低い弾道で左翼フェンスにぶつかる安打となり、またしてもあと1人で記録を逃した。
実はこの回1死後、代打・島本講平を遊ゴロに打ち取りながら、水上善雄がファンブルしており、このエラーがなければ、平野まで打順が回ることなく、記録を達成していた可能性もあった。
それでも仁科は「一生懸命やってのエラーじゃないですか。これまでミズには何度もファインプレーで助けられているんですから、何とも思っていません」とフォローした。
現役引退後も、2年連続でノーヒットノーランを逃した話題が出るたびに、仁科は「1安打完封です」と答えるのを常としていた。「それだけでもスゴイことですよ。まあ、私の人生を象徴してますね(笑)」。25歳でプロ入りし、タイトルとは無縁ながら、12年間で通算110勝を挙げたサブマリン右腕は、記録よりも記憶に残る名選手の一人である。