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 今回は当初、政治記者として7年前に遭遇した東日本大震災の思い出を書くつもりだった。

「今振り返る、政治記者として対峙した『3・11』」の続編だ。

 ただ、フェイスブックでの入院報告に寄せられる励ましを読むうちに、同僚はともかく読者の皆様には、ほぼ唯一のコミュニケーション手段であるコラムで現状を知らせたくなった。

「何か遠方でもお手伝いできることがあれば」と真っ先にコメントを下さったのは、長く働いた永田町・霞が関の知人ではなく、熊本地震で被災した川野まみさん。「阿蘇西原新聞」をウェブ上で創刊し、朝日新聞の「ひと」欄でも紹介されている。人を「自然界の一員」として見る面白さをよみがえらせてくれた関西の予備校講師、三浦良さんからは、配偶者への気づかいも含む4本構成のメッセージをいただいた。疱瘡除けの神様として知られる「鍾馗」(歌川国芳画)は勇壮で、背中に平手で活を入れられた気がした。慶応大の井手英策さんは7年前に生死の境をさまよい、「いま、その瞬間を生き抜きたい」と政治の世界に足を踏み入れた。人間とは、自らの死後も残される家族や友人を思って「辛くなる」「果てしなく優しい生き物」とのコメントから、人間そのものと、それが織りなす政治への希望が感じられた。

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 入院生活には大きな波がくる日もあれば穏やかな1日もある。

 詳細は省くが、25日はアップダウンの激しい一日だった。

 入院をもたらした原因について、おおむね三つの疑いが浮上し、緊急処置などを含めて対処し、一応落ち着いた。この間、配偶者が私も知らぬ間に病院に呼び出される騒ぎがあり、今もリスクを抱えた状態でいる。

「死」「打つ手がない」。そんな言葉が医師の口から出ることにも、なんとなく慣れっこになりつつある。

 色々考えた。今のところの結論は、こうだ。

 とにかく記者である以上、美しい姿でなくても生きて、ありのままを書けば、その分だけ得点になる。もう失点することはない――。

 真意はおいおいと説明していきたい。

 みなさま、今しばらくおつきあいのほどよろしくお願いいたします。

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野上祐

野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

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