うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。45歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は、突如襲った痛みと緊急入院のことをお伝えします。
* * *
腹と背中の痛みは、まるで万力で締められたようだ。「苦しい」という自分のうめき声が絵空事のように自宅のベッドで響いた。
目を開けられずにいると救急隊員が到着し、名前や生年月日、当日の日付を立て続けに聞かれる。コラム掲載の日程から逆算し、かろうじて「20日です」と答える。おなかの人口肛門からゴボッ、ゴボッとゼリー状にあふる鮮血と、口から吐いた茶色いしぶきが目に入った。
2018年4月20日午前5時45分。救急車に乗るのは人生初である。
ストレッチャーに仰向けになった目の前を、玄関の天井の白、空のブルーグレー、救急車の天井の白と、スマートフォンの画面をスクロールするように、目を開けた瞬間に見える風景が、静止画像で足もとから頭のほうへ流れていく。
出発前、配偶者に「パソコンを病院に持っていって。電源も」と息も絶え絶えに頼み込んだ。この翌日掲載される「アエラドット」の原稿を仕上げるのに必要だからだ。「異変」が起きたのもそれにかかったところだった。
まだコラムの話をしている姿に、配偶者は泣きそうな声で私の名前を呼んだ。後から聞くと、「この人はこの場面もネタをキャッチしたと思っているんだろうな」と思っていたそうだ。
病院に到着しても、仰向けの状態は変わらない。激しく吐き出すと少し楽になった。「これで死ぬのかもしれない」。がんになって初めてそんな考えが頭をよぎった。どうなるにせよ、自分の姿はとどめておこう。検査室に移動する前、自分の様子を写真に撮るよう配偶者に頼んだ。数枚撮ったところで看護師から「撮影禁止」と告げられる。