ヤクルト・野村克也監督(当時) (c)朝日新聞社
ヤクルト・野村克也監督(当時) (c)朝日新聞社

 2018年シーズンが開幕して約1カ月が経ち、連日熱戦が繰り広げられているが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、80~90年代の“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「グラウンド外にも“敵”がいた編」だ。

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 1995年8月6日の広島vsヤクルト(神宮)は、試合開始前から黒い雲が上空を覆い、プレーボール直後から激しい雷雨に見舞われた。

 ヤクルトの先発・吉井理人は、度胸満点のピッチングが身上だが、実は雷が大の苦手。稲妻が光るたびにおじけづいて、メロメロ状態になってしまった。

「雷が打つわけじゃない。気にするな」という野村克也監督の叱咤激励もまったく効果なく、2回、山田和利に先制タイムリー二塁打を浴びてしまう。

 さらに3回2死一塁、4番・江藤智を迎えた場面で、この夜最大規模の稲妻が襲ってきた。すっかり肝をつぶした吉井は、ピッチングどころではなくなり、江藤を四球で歩かせた後、金本知憲に左越え3ランを献上。その後も3連続四球で2死満塁とピンチを広げ、投手の近藤芳久に右前2点タイムリーを浴びるなど、7四球8失点の大乱調でKO。試合は広島が15対4と大勝した。

 まさかの3回途中降板となった吉井は「情けないです」とガックリ。これには野村監督も“カミナリ”を落とすに落とせず、「悪霊に取りつかれたみたいや」とぼやくしかなかった。

 しかし、雷さえ鳴らなければ、話は別。吉井は同年、近鉄から移籍1年目のシーズンを自身2度目の二桁勝利で飾るとともに、チームの2年ぶり日本一に貢献した。

 その吉井は2年後の1997年にもグラウンド外の“敵”に悩まされることになる。

 同年8月5日の巨人戦(大阪ドーム)、ヤクルトが4対2とリードして迎えた3回裏、先発・吉井が大野倫に2球目を投げ、2ストライクと追い込んだ直後、右目の異常を訴えた。一塁側スタンドから放たれた赤いレーザー光線が右目を直撃したのだ。

「古田(敦也)のサインが見にくいなと思って、ふと上を見たとき、赤い光のようなものが右目に入ってきた。それからは右目に影ができたみたいで、集中力を欠いてしまった」

 直後、吉井は2点を失い、次の回の攻撃で代打を送られて降板となったが、その後も右目に赤い残像が残り、アイシングを施すほどの重症だった。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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