このような妊娠待機ともいえる状況について、筆者は過去にも問題を指摘している。著書『ルポ 保育崩壊』(岩波新書、2015年)では、関西地方の社会福祉法人が運営する認可保育所で働く30代の保育士が、結婚を目前とする時に園長から「仕事に生きろ」と暗に妊娠をしないよう忠告されていたことを記した。また、同書では大手の社会福祉法人が運営する認可保育所で働く保育士(20代)が妊娠して悪阻がひどく休むと、罰金として1日1万円分が給与から天引きされていたというマタハラの例も執筆している。
こうした「妊娠の順番」は、人手不足の業界で女性の占める割合が高い職種で起こりやすく、保育士の場合も今に始まったことではない。保育士の平均勤続年数は以前から7年前後と短く、多くが結婚や妊娠を機に辞めていく。人手不足のなかで若いうちに入れ替わることが常態化しているため、妊娠が運営上の「リスク」に変容してしまう。それに加えて待機児童対策のため保育所が急速に増えるなかで空前の保育士不足に陥り、産休や育休で一人でも抜けてしまうと現場が回らないという問題が起こっている。だからこそ、「妊娠の順番」問題が表面化したのではないか。
不況が訪れるたび、共働き世帯は増えて保育の需要は高まった。1997年には専業主婦世帯と共働き世帯は完全に逆転、現在、共働き世帯は専業主婦世帯の1.6倍だ。しかし、国は待機児童対策に真剣に向き合わず、1998年に「定員の弾力化」を始めた。一定数、定員を超えて預かることができるよう規制緩和することで対処。その弾力化の幅は次第に拡大した。財政を投入して定員を拡大するのではなく、今いる保育士でより多くの子どもをみることになり、現場は悲鳴をあげた。
そして、人材を大事にしない保育所が増えたことも「妊娠の順番」やマタハラを助長させた。長年、保育は公共性の高い事業として公立以外は社会福祉法人しか認可保育所の設置が認められていなかったが2000年に営利企業の参入が解禁された。