近鉄・小川亨(当時) (c)朝日新聞社
近鉄・小川亨(当時) (c)朝日新聞社
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 2018年シーズンが開幕して半月が経過したプロ野球だが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、80~90年代の“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「こんなはずじゃなかったのに編」だ。

*  *  *

 1死満塁で右前安打。通常なら得点が入っていてもおかしくないシーンだが、なんと、併殺でスリーアウトチェンジになってしまう珍事が起きたのが、1983年7月9日の南海vs近鉄(平和台)である。

 7回に一挙5得点の猛攻で7対3と逆転した近鉄は、8回も1死満塁のチャンス。ここで7番・小川亨が右前に安打を放った。

 ところが、必死に前進してきたライト・李来発の捕球がダイレクトかショートバウンドか微妙だったことが混乱を招く。

 三塁走者・藤瀬史朗はダイレクト捕球されたと思い込み、三本間のハーフウェイでストップ。これを見た李がすかさず本塁に返球したので、藤瀬は本封アウトになった。

 さらに二塁走者・羽田耕一も二、三塁間で躊躇していたため、ボールは捕手・香川伸行からサード・久保寺雄二に転送され、9-2-5の併殺で、あっという間にスリーアウトチェンジに……。

 これには三塁コーチャーズボックスにいた仰木彬コーチも「自分のジャッジが遅れたのも悪いが、藤瀬にホームに走るよう指示した後は、みんなが金縛りにあったみたいな感じになった」と目を白黒。

 小川の記録もライトゴロ併殺となり、「ヒットを1本損した」と思わず天を仰いだ。

 次もライトゴロ併殺の話である。

 1984年4月17日のロッテvs南海(大阪)、1点を追うロッテは9回1死から庄司智久の左越えソロで7対7の同点に追いついた。

 次打者・高沢秀昭も死球で1死一塁と勝ち越しのチャンス。ここでロッテ・稲尾和久監督は、次打者・山本功児の初球にエンドランのサインを出し、勝負をかけた。

 高沢がスタートを切ると、山本は右前にクリーンヒット。見事エンドランは成功し、1死一、三塁とチャンスが広がるはずだった。

 ところが、ライナーで捕られたと勘違いした高沢は、二塁ベースの手前で足を止めると、一塁に向かって戻りはじめるではないか。この間、ボールはライト・山本和範からセカンド・ドイルに転送され、高沢は二封アウトに。

 これだけなら2死一塁だったのだが、打った山本もスリーアウトチェンジと勘違い。一度一塁ベースを踏んだ後、ベンチのほうに1メートルほど戻りかけた。

 野球規則7.08a(2)によれば、一塁に触れてすでに走者になったプレーヤーが、ベースラインから離れ、次の塁に進もうとする意思を明らかに放棄した場合は、走塁放棄でアウトになる。

 これにより、岡田豊一塁塁審が山本にアウトを宣告し、スリーアウトになった。右前安打が一転ライトゴロ併殺になった山本は「頭の中が混乱して、何が何だかわからない」と目を白黒。

 一部始終を見ていた村田康一球審は「史上最高の珍プレー」と評したが、くしくも2年前の日本シリーズで“石ころ事件”の主役になった同審判だけに、「これであの事件も目立たなくなった」と内心胸をなで下ろしていたのかもしれない。

 結局、試合は7対7の引き分けに終わり、勝利を逃したダブルチョンボに怒った稲尾監督は2人に罰金5千円ずつを科した。

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西武デストラーデがまさかの登板!?