その答弁の後、仙谷官房長官(当時)が、この答弁で私の出世がなくなるというような「恫喝答弁」をしたが、結局、陳謝に追い込まれた。この時はテレビ局が私の特集まで組んで「古賀支援」キャンペーンを展開してくれた。

 これに対して、経産省の事務方は、火種を処理しようと、私に天下り先を提示するなどして、何とか辞めさせようとしたが、逆にマスコミが私を擁護するための質問を経産相にすると、大臣は、マスコミの批判が怖くて、「古賀さんのような優秀な官僚には是非活躍してもらいたい。そのためにポストを探しているところだ」と答えてしまい、事務方は私を辞めさせることができなくなった。

 それくらい、改革派の官僚にとっては、マスコミは最後の応援団として頼りになったのだ。

 しかし、安倍政権が誕生し、マスコミ支配が進んでくると、この状況は一変する。

 私がそれを痛感したのは、2015年1月23日だった。この日、私は、テレビ朝日の報道ステーションに出演し、初めて「I am not ABE」というメッセージを発した。この発言に至った経緯を説明しておこう。

 同年1月20日にイスラム国(IS)が後藤健二さんの拘束動画をネット上に公開し、殺害予告を行った。当時、安倍総理は中東諸国を歴訪中だった。この映像を見た日本国民は大いに驚いた。特に、後藤さんが捕虜になっているときに、安倍総理がわざわざ中東諸国を歴訪し、イスラエル国旗の前で記者会見したり、エジプトで「ISと闘う周辺諸国に2億ドルの支援をする」と述べて、わざとISを刺激するような「宣戦布告」発言を行ったことなどを巡って、テレビでは、安倍総理の言動に疑問を呈するコメントが流れた。もちろん、安倍総理は全てわかったうえで中東を訪問していたのだが、ISがビデオ映像をそのタイミングで公表するとは思っていなかったのであろう。官邸はパニックに陥って、テレビ局に相当な圧力をかけたようだ。21日まであった批判的コメントは翌日から完全に姿を消し、メインキャスターやコメンテーターたちが、「日本は今、テロリストとの戦いを行っています。今こそ、一致団結しなければなりません。こんな時に安倍政権を批判するのは、テロリストを利することになります」などと叫んで、事実上政府批判を自粛することになった。

 私は、後藤健二さんへの連帯を示す「I am KENJI」というプラカードが世界に拡散するのを見て、それとともに、日本は平和を愛している、誰とも戦争したくない、安倍総理が中東で発した言葉は日本国民の思いではない、ということを世界に伝えるべきだと思った。そこで、英語で、「I am not ABE」と発信しようと報道ステーションの番組内で、「言葉」で呼びかけたのだ。

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圧力、嫌がらせ…報道ステーションが終わった日