公文書の改ざん、隠ぺいが続々と明るみに出ている。一々挙げることはしないが、どれ一つとっても、政権の屋台骨が揺らぐような事件だ。その原因の一つとして、安倍政権の「恐怖政治」が官僚の忖度を誘発しているということが指摘されている。この点は、私も繰り返し指摘してきたことで、そうした側面があることは確かだが、マスコミがあまり報じない重要な論点が他にもある。
【写真】自民党からテレビキー局や「報道ステーション」に送られた圧力文書
それは、マスコミが霞が関崩壊に果たしている役割だ。今回は、私自身の官僚時代からの経験を振り返りながら、この点について考えてみたい。
官僚とマスコミの関係は複雑だ。まず、一つの側面としては、マスコミは面倒な存在というのがある。いつも自分たちのやることに批判的な目を向けて、何かと揚げ足を取ろうとしてくる。政策の問題だけならまだ良いのだが、天下りの問題にも非常に批判的で、自分たちの生活を脅かす存在である。そんな意識を官僚は持っている。
他方で、記者クラブに特権的地位を与え、事実上の談合組織とすることで、あまり突出して批判する社に対しては、時にはあからさまに、また、時には陰にこもった形で、情報提供を制限したり、取材の邪魔をし、提灯記事を書く社に対しては、特ダネを与えるというようなやり方で、マスコミを自分たちの広報機関として利用しているという面もある。一言で言えば、緊張感を伴う持ちつ持たれつの関係と言えばよいだろうか。
これは一般的な官僚と一般的なメディアとの関係だが、これとは少し違う特別な関係を持つ官僚と記者も存在した。
官僚への信頼は地に堕ちたが、彼らの中にも、国民のための改革をしたいと考える者も一定程度(現在は「絶滅危惧種」とも言われるが)存在する。そうした「改革派」官僚たちにとって、マスコミは非常に重要な「助っ人」であった。具体的な例を紹介しよう。
1990年代の「規制改革」の時代、まだ、多くの行政分野で岩盤規制と言われる前時代的な既得権保護システムが無数に存在していた。身近なところでは、例えば、レンタルが原則だった携帯電話の売り切り制が認められたのも、銀行の普通預金金利規制がなくなったのも1994年だ。
心ある「改革派」官僚から見れば、変えるべきことは山ほどあるが、そのどれもが所管省庁の天下り利権と族議員の利権の源泉だったので、簡単にはそれを突き崩すことはできない。そこで彼らが考えたのが、外圧とマスコミの「利用」だ。今回はマスコミの話をするが、例えば、私の場合は、通産省(当時)で産業組織政策室の室長をしながら、全政府の規制改革を推進しようとしていた。その際、マスコミの援護射撃を得るために、経済問題に強い日本経済新聞の記者とタイアップして世論喚起と政治家誘導を図った。