灰色のコンクリート壁に囲まれた薄暗いナゴヤドームの駐車場で、松坂大輔は二重三重に報道陣に囲まれていた。
勝負の世界は、残酷なものだ。勝てば、カクテル光線がきらめくグラウンドの上でお立ち台に立ち、ファンの歓声を浴びる。しかし、負けたゲームでは、その歓喜の舞台はセッティングされない。帰路につく松坂が愛車の脇での囲み取材に応じる。広報担当者から「そろそろ」という声がかかったら、これが「最後の質問」というのが暗黙の了解だ。
「次回登板に向けては?」
そう聞かれたとき、そこまで淡々と、よどみなく話していた松坂が、ふと口をつぐんだ。
5秒…… 10秒……。
沈黙の時が続いた。言葉を、絞り出そうとしていた。
遠くを見つめているような視線。その両目が、うっすらと光っているように見えたのは、うがちすぎだろうか。それでも、おそらく、そのまぶたの裏には、これまでのいろいろな光景が交錯していたのだろう。
「マウンドに立つことを目標にして、今日、立てましたけど、僕の中では、立つことが決まった時点でチームの勝ちにつなげられるように投げようとしか考えていなかったですし、マウンドに立ったとき、特別な感情はなかったですね。オープン戦と雰囲気はまた違いましたけど、近いような状態で(マウンドに)上がれたんじゃないですか。ふわふわした感覚もなかったですし」
感慨を、あえて振り払おうとしていた。現役を続ける。そう決めた時点で、この“復帰戦”に投げることは決してゴールではなく、通過点だったのだ。
日本での先発登板は2006年9月26日のロッテ戦以来、4209日ぶり。公式戦の登板はソフトバンク時代の2016年10月2日以来、550日ぶり。その時に投げたのは、わずか1イニングのみ。昨季は2軍のマウンドにすら立てなかった。
メジャーから帰国後、3年間所属したソフトバンクは昨オフ、松坂に対して現役続行を容認しながら、新たな肩書として「リハビリ担当コーチ」の提示を行ったとみられている。ソフトバンクは1軍、2軍、3軍という豊富な選手層を誇る。3年間で1軍登板1試合の37歳に対し、貴重な「支配下選手」の1枠を手放しで与えることはできない。それは復活をかける松坂への愛情だったが、その一方で「コーチ」という肩書をつけることは目下の戦力としては“構想外”ということも意味している。だからこそ、松坂は新天地を求めたのだ。