それはソニー製のピンマイクだった。しかし、当時はテレビの現場ではまだ普及していなかったのだ。
帰国後、萩本は『欽ちゃんのどこまでやるの!』という自分の番組でピンマイクを導入することにした。それまでのバラエティ番組では、ハンドマイクを手に持つか、それにヒモをつけてぶら下げて使うのが一般的だった。ピンマイクなら小さいので出演者の動きを邪魔することがない。また、目立たないので、マイクを使っていると視聴者に意識させることもない。
しかし、当時はまだピンマイクの性能が悪かった。マイクの向きによって上手く声を拾えなかったり、ノイズが大きくなってしまったりした。「性能が悪いから使わない方がいいのでは」という声もあったが、萩本は「だからこそ使い続けよう」と押し切った。
なぜなら、その番組をマイクを開発している人たちが見れば、自分たちの作ったマイクに不具合があるのがありありと分かる。それに気付けば、製品の改良に取り組んでくれるはずだ、と萩本は考えたのだ。実際、その通りのことが起こった。技術者たちはピンマイクをどんどん改良していき、それはテレビ番組に欠かせないものとなった。
テレビという映像メディアの本質は、カメラで映像を撮り、マイクで音声を録る、というところにある。街頭インタビューなどでテレビカメラを向けられると人が緊張してしまうのは、そこに映っている自分の姿を意識してしまうからだ。マイクを向けられたときに困惑してしまうのも同じこと。カメラとマイクという物々しい装置が、それを向けられた人に緊張感を与えてしまう。
だからこそ、ピンマイクは画期的な発明だったのだ。ピンマイクを付ければ、マイクを付けているとか向けられているということを意識することなく、誰でも自然に話をすることができる。
カーリングでピンマイクが使われているのもそのためだろう。もし、マイクの進化の歴史が止まっていて、ハンドマイクを首からぶら下げて使うしかない状況だったとしたら、カーリングという競技でそのシステムが導入されることはなかったはずだ。
カーリングの盛り上がりの裏には、テレビの歴史を変えた発明がある。その発明の後押しをしたのは萩本欽一だったのだ。(ラリー遠田)