「速水さんは熱心なクリスチャンで、信仰心の厚い方。その影響もあるのかもしれませんが、金融政策にも強い信念を持っていました」

 1998年の総裁就任当時で72歳。1ドル=360円の時代から日銀にいて、為替自由化で円高が進むとともに成長してきた日本を目の当たりにしてきた。そのため、円高を「是」として考えていた。速水氏の著書『強い円 強い経済』(東洋経済新報社)のタイトルからも、その信念がうかがえる。

 しかし実際には、局面が変わり円高が進むと、輸入品が値下がりして、物価も下がっていくため、デフレが加速する要因をつくってしまい、当時の内閣と対立することになった。

■大阪出身、懐の広い商人気質――福井俊彦

次に総裁に就任したのが、日銀出身の福井俊彦氏だ。速水路線を踏襲せず、市場の資金量を増やす量的緩和政策を実施した。

「福井さんは日銀の総裁としては珍しく調整型の人。自分の金融政策を強く主張せず、組織をマネジメントすることを重要視しました。懐が深く、自分と考え方が違う人を受け入れる度量の大きい人でした」

 大阪の船場で育った商売人気質で、チャーミングな一面もあった。

「番記者時代に、福井さんの携帯電話の着メロを聞いたことがあります。『六甲おろし』でした。もちろん、阪神タイガースの大ファンです」

 交友関係が広く、人望もあった。当時の首相、小泉純一郎氏の心を掴んでいて、二人で笑顔で話している姿もよく見かけたという。

■マジメな学者肌。あだ名は「のび太くん」――白川方明

 福井氏の次の総裁に就任した白川方明氏は、一転して、学者タイプの人物。2008年のねじれ国会により、地滑り的に日銀総裁に就任した。見た目から、ついたあだ名は「出来過ぎたのび太くん」。

「白川さんは総裁になる予定じゃなかった人。本人も、そのつもりはなかったと思います。本当にマジメな性格で、『趣味は金融政策』なのではないかと周囲は囁いていました」

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