彼が書きリード・ヴォーカルも担当した「シーズ・ソー・ファイン」というポップな曲も収められていて、ジミが気をつかってのことだったかもしれないが、正直なところ、作品全体の流れを阻害してしまっているような印象を受ける。また、この作品から顕著になるジミの完璧主義に反発を感じ、ノエルの気持ちは次第にバンドから離れていったようだ。
彼ら二人とともにスタジオでのジミを支えたのは、エンジニアのエディ・クレイマーと、ファズやオクタヴィアなど初期のギター・エフェクトの開発者だったロジャー・メイヤー。ファースト・アルバム制作時の途中から参加し絶大な信頼を得るようになったクレイマーとは、彼が『イン・フロム・ザ・ストーム』というトリビュー・アルバムを制作したときに電話で話したことがあるのだが、「目指す音のイメージを色で表現していた」という言葉が印象に残っている。たしかにこのアルバムには、「ワン・レイニー・ウィッシュ」や中心トラックの「ボールド・アズ・ラヴ」など色の名前が生かされた歌詞の曲が少なくない。サーカスが一つのキーワードとなっている「リトル・ウィング」も色にあふれている。
英国人作家ハリー・シャピロの労作『ジミ・ヘンドリックス/エレクトリック・ジプシー』を読んで印象に残ったことだが、ジミは虹の七色に、「誰も理解できないと思うけど」と断ったうえで、怒りや嫉妬といった人間の感情を重ねていたようだ。そしてその場にいた人たちがそれぞれの感性でその言葉を受け止め、作品の完成につなげていったということではないだろうか。
クレイマーによると、また、大半の曲は歌詞も含めてスタジオで仕上げられたものだが、ジミは驚くほど完璧にすべての流れを把握しながら、作業を進めていったという。たとえば「キャッスル・メイド・オブ・サンド」などで効果的に使われているバックワード・ギター(逆回転ソロ)も、録音の段階で最終的な仕上がりの音をきっちりと理解していたそうだ。
録音に使われたのは、当時の主流だった4トラック・レコーダー。できることは限られていたはずだが、24歳のジミ・ヘンドリックスは、バンドと楽器とエフェクトの可能性をぎりぎりまで引き出し、オープニングの「EXP」から最後の「ボールド・アズ・ラヴ」までの13曲を仕上げた。『アクシス : ボールド・アズ・ラヴ』からの曲はあまりライヴで演奏されることがなかったようなので、最初からスタジオでの創作ということを強く意識していたに違いない。