いまやロック界のレジェンドとして語られるジミ・ヘンドリックス。セカンド・アルバム『アクシス : ボールド・アズ・ラヴ』が発売されてから12月1日で50年がたった。当時、ジミ・ヘンドリックスと一緒にアルバム制作に関わったミュージシャンは、彼の才能に驚かされたという。当時のアルバム制作の秘話を、音楽ライターの大友博さんが語る。
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ジミ・ヘンドリックスの(正確には、ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの)セカンド・アルバム『アクシス : ボールド・アズ・ラヴ』がイギリスで発売されたのは、1967年12月1日のことだった。つまり、数多くのアーティストにカヴァーされてきた「リトル・ウィング」や「キャッスル・メイド・オブ・サンド」「スパニッシュ・キャッスル・マジック」などの名曲を収めたあのアルバムが世に出てから、ちょうど50年前。すでに半世紀の歳月が流れたことになる。
発表直前に彼は、25回目の誕生日を迎えていた。それまでの流れを簡単に紹介しておくと、1942年11月27日、ワシントン州シアトルで生まれたジミ・ヘンドリックスは、十代半ばでギターを弾きはじめ、60年代の前半は、サム・クックやアイズリィ・ブラザーズといったリズム&ブルース系アーティストのバックで腕を磨き、経験を積んでいった。
その後ニューヨークに拠点を移し、自分のバンドを率いての活動を模索していたとき、アニマルズのベース奏者だったチャス・チャンドラーと出会い、彼の誘いを受けて66年の秋、ロンドンに向かったのだった。そして、二人のイギリス人ミュージシャン、ミッチ・ミッチェル(ドラムス)、ノエル・レディング(ベース)とエクスペリエンスを組み、ビートルズやローリング・ストーンズ、ザ・フーやクリームのメンバーたちも巻き込む形で、ロンドンの音楽シーンに強烈な刺激を与えることとなる。驚嘆、称賛、嫉妬。突然どこからともなくやってきた左利きの黒人青年に、彼らはそれぞれ、さまざまな想いを抱いたはずだ。