――2014年6月に唯さんのお母さんの勧めで2人組ユニット「SUMMER!フラワー」を結成しました。唯さんから先輩として指導はありましたか。

「もっとここはやさしく歌って」「ここは声小さめに」とか、歌のアドバイスをしてくれました。あと、ダンスも唯ちゃんが手の振り付けを考えてくれて。「そのとき足はこうしてほしい」と、私の足の振り付けまで考えてくれました。

――二人でよく一緒にいて、とても仲が良かったと聞いていますが、ケンカすることはなかったのですか。

 ケンカすることはなかったけれど、2人とも思ったことは言うタイプ。なので、意見が食い違って無言になっちゃうことはありました。でも、自然とすぐ普通にいつも通りの関係に戻れました。

――唯さんの歌を評価していた平尾昌晃さん(17年7月21日死去)のミュージックスクールの発表会に、「SUMMER!フラワー」も特別枠で出演したそうですね。

 そのとき、唯ちゃんは義足をつけて出演しました。でも、義足をはめるときのソケットが、右足の切断面に当たって痛かったようです。ステージ上はもちろん、ステージ裏でも笑顔でしたが、スタジオに戻るとすぐに「はずしていい?」と言っていました。そのとき、「あ、我慢してたんだな」と気づきました。

――『生きて、もっと歌いたい』を読むと、唯さんは基本的に前向きで、めったに弱音を吐かないですね。本には書かれていないけれど、実際は気持ちが沈んだり荒れたりしたこともあったのでは、と思ってしまったのですが。

 歌劇団のことで悔し涙を流しているところは見たことがあるんですけど……。闘病がつらくて泣いているのを私は見たことがないんです。“歌劇団のこと”というのは、最初のころは「(唯ちゃんが)センターが取れなかった」ときとか。病気になってからは歌劇団の他のメンバーの歌やダンスに、「もっとがんばって」「なんでもっとまじめにやらないの」と泣きながら注意してくれた。唯ちゃんは「ふだんは仲のいい友だちでも、歌劇団としてはよきライバルでいたい」とよく言っていました。

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