ドラフト会議が終わり、注目の高校通算111本塁打の清宮幸太郎(早稲田実)は7球団競合の末に日本ハム、一大会新記録の甲子園6発の中村奨成(広陵)は広島が交渉権を獲得した。夢と希望に満ちたプロ野球人生が間もなく始まろうとしているが、その一方で過去には甲子園のスター選手として鳴り物入りでプロ入りを果たしながらも満足に活躍できなかった選手も数多くいる。光があれば、陰もある。前回の投手編に続き、平成以降の甲子園の舞台を対象に、プロで輝けなかった高校野球のスターたち・野手編を紹介したい。
高校時代、“消耗品”と言われる肩を酷使した投手がプロで苦しむ事例が多くあるのと同じく、甲子園でスポットライトを浴びた野手の中にもプロ入り後に伸び悩み、または故障や木製バットへの対応に苦しんだ結果、描いていた未来とは異なるプロ生活を強いられた者が数多くいる。
平成以降を振り返ると、まずは萩原誠(大阪桐蔭)の名前が挙がる。3年生だった1991年に4番打者として春夏連続で甲子園に出場。夏には打率.688、3本塁打の大暴れで同校を初出場初優勝に導き、高校通算58本塁打の記録も引っ提げてドラフト1位で阪神入りを果たした。