そして、ミスタータイガース・掛布雅之の背番号31を与えられ、2軍では打点王、首位打者などに輝いたこともあったが、1軍ではチャンスを活かすことができずに1997年オフに近鉄にトレード。結局、プロでは10年間で出場124試合、4本塁打に終わった。2002年からは社会人・日本IBM野洲に所属したが、翌年のチーム活動休止とともに現役引退。現在は大阪で整骨院を営んでいる。
3年時に春夏連続甲子園出場し、センバツでは準優勝を果たした澤井良輔(銚子商)もプロでは芽が出なかった。強打の内野手として、高校時代には同学年の福留孝介との比較で「西の福留・東の澤井」と言われ、福留の外れ1位でロッテに入団。プロ5年目の2000年に1軍初安打を放ち、2002年には開幕スタメンに名を連ねたが、翌年に右肩を故障して2005年にプロ通算90試合で打率.225、6本塁打で退団。以降、社会人クラブチームでプレーし、BCリーグ・群馬のコーチを務めた後、現在は保険会社に勤務しているという。
その澤井よりも3学年下、いわゆる“松坂世代”のスラッガーと言えば、古木克明(豊田大谷)だった。