雪男「イエティ」は実在したのか。近年、イエティのDNAが現代人のゲノムに残っていたとも言える報告がなされているという (※写真はイメージ)
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『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。医療誌「メディカル朝日」で連載していた「歴史上の人物を診る」から、イエティ(雪男)の存在について解説する。

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【イエティ (生没年不詳)】

 筆者の勤務先の山岳部は猛者ぞろいである。槍穂高もままならぬ筆者にとって、ヒマラヤ遠征の話など本当に羨ましい限り。話に聞く大氷河やモレーンに太古の昔から残る高山植物、高山蝶など見てみたいものがたくさんある。中でも興味のあるのは雪男(イエティ)である。

毛むくじゃらの巨人

 イエティとは、シェルパ族の言葉で岩を意味する“Yah”と動物を意味する“Teh”が語源とされる。古くからその存在が伝えられてきたが、19世紀英国の探検隊が巨大な足跡を報告し、多くの目撃情報が寄せられるようになった。共通点は毛むくじゃらで巨体だが素早い行動を取ることで、僧院や猟師の家に頭皮、遺骨が伝えられる。現生人類との競争に敗れた猿人の生き残りではないかと期待されたが、DNA鑑定ではいずれもヒグマやカモシカのものだった。しかし、近年イエティのDNAが現代人のゲノムに残っていたとも言える報告がなされている。

 世界の中で標高3000m以上に居住するのはアンデス高地民、エチオピア高地民そしてチベット高地民である。彼らは各々「ヘモグロビン増加」「酸素飽和度増加」「血流増加」という三つの異なった方式で適応してきた。

 マラソンの選手が高地トレーニングを行うとヘモグロビンが増えてくるので、アンデス高地の適応は後天的なものである。この方法の致命的なところは必然的に多血症による合併症を伴うことで、脳循環障害の重要な要因となる。

 一方、チベットではヘモグロビン濃度はむしろ低く、これを上回る肺活量、肺換気応答、血流増加などの適応が生じる。この形質はEPAS1(hypoxiainducible factor-2α;HIF-2α)ハプロタイプによって遺伝することが判明した。この事実を明らかにした米国カリフォルニア大学バークレー校のNielsenのグループは、チベット人に多い変異型EPAS1の持ち主を世界中に求めたが、現生人類ではチベット人と近縁のシェルパ族、そして漢民族のごく一部に見つかっただけだった。彼らはさらに、ネアンデルタール人を含む化石人のゲノムを比較したところ、この変異が数万年前に絶滅した先史人類デニソワ人に由来することが判明した。

第3の人類

 現生人類(ホモサピエンス)に最も近いのはネアンデルタール人であるが、この2種と共存した第3の人類がデニソワ人である。2008年にロシア西シベリアのデニソワ洞窟で発見された子どもの骨と、成人の臼歯のDNA解析から、彼らは100万年ほど前に現生人類と別れ、さらにネアンデルタール人と64万年前に分岐したと推定されている。

 出土品が極めて少なく、どのような生活環境にあったのか全く分からないが、おそらく低温低酸素に適応し、彼ら(彼女ら)と交雑した現生人類の中でヒマラヤ高地に住む人々が有利なEPAS1を受け継いだのだろう。

 さらにごく最近、自然免疫に関与するTLR1とTLR6、TLR10で、アフリカ人に見られないハプロタイプが日本人を含む東アジア人に見つかり、その一つがデニソワ人由来ということが判明した。免疫の進化には病原微生物が非常に重要な役割を果たすので、我々の先祖はアフリカの地を出て、日本列島に至る長旅の中で様々な感染症と出合い、シベリアや中央アジアにいたデニソワ人やネアンデルタール人(あるいはその血を引く人々)と交雑して遺伝的多様性を広げていった。

 雪男は数万年前、確かに酷寒のシベリアからヒマラヤに生存し、われわれの先祖と交際していたのである!

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