11月3日、萩本欽一を題材にしたドキュメンタリー映画『We Love Television?』が公開された。『電波少年』シリーズで知られる土屋敏男が監督を務め、2011年から萩本の新番組制作に密着した。萩本自身は撮影中、この映画を作っていることを知らされていなかったという。
40代以上で萩本のことを知らない人はほとんどいないだろう。坂上二郎とのコンビ「コント55号」の一員としてテレビの世界に颯爽と現れた萩本は、瞬く間にテレビを席巻した。
コンビとしてレギュラー番組に出るだけでなく、単独で司会者を務めることも多かった。『欽ドン! 良い子悪い子普通の子』『欽ちゃんのどこまでやるの!?』『欽ちゃんの週刊欽曜日』『オールスター家族対抗歌合戦』など、民放各局に高視聴率の番組を持ち、その合計視聴率が100%を超えていたことから「視聴率100%男」の異名を取っていた。
しかし、30代以下の世代では、そんな萩本の全盛期を知らない人が多いのではないだろうか。90年代に入ると、萩本はあまりテレビに出なくなっていたからだ。それ以前から現在まで続いているのは、特番として放送される『全日本仮装大賞』だけだ。「欽ちゃん=仮装大賞の人」というのが、若い世代の共通認識ではないだろうか。
また、2004年に野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」を結成したり、2015年に73歳で大学に入学したりするなど、奇抜な行動で世間を騒がせる得体の知れない人物、というイメージもあるかもしれない。
しかし、実は、私たちが普段見ているバラエティ番組の基礎を作ったのは萩本である。テレビの世界で彼が偉大な人物として語り継がれているのは、その功績のためだ。
例えば、テレビで芸人が司会を務めるのは今では一般的になっているが、これを初めてやったのは萩本であると言われている。アドリブ中心のコントを得意としていた当時の萩本は、台本通りに番組を進行させなくてはいけない司会の仕事を引き受けることに難色を示していた。