作曲家の山本直純氏=1969年11月 (c)朝日新聞社
作曲家の山本直純氏=1969年11月 (c)朝日新聞社
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 山本直純という偉大な人物がいた。彼は、あの国民的映画「寅さん」こと「男はつらいよ」のテーマ音楽を作曲した。それだけではない。「8時だョ! 全員集合」「3時のあなた」「ミュージック・フェア」といった人気テレビ番組や、「武田信玄」などNHK大河ドラマの音楽も、愛唱歌「一年生になったら」も作曲した。そう、彼は20世紀後半を生きた日本人が、最も多くメロディを耳にしている作曲家かもしれない。

 こうした直純の業績のほか、毎晩朝方まで酒を飲み、周囲の人々を巻き込むといった無頼エピソード、小澤征爾との友情、さだまさしとの交遊などを、音楽ライターであり、評論家であり、編集者でもある、柴田克彦氏が『山本直純と小澤征爾』(朝日新書)として発表した。

 埋もれた天才・山本直純とはどんな人物だったのか? 柴田氏に寄稿してもらった。

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 ある年代以上の方なら、赤いタキシードに口ひげと黒縁メガネの愛すべきキャラクターを思い出すのではないだろうか? 中でも印象的だったのは、「大きいことはいいことだ」のフレーズで一世を風靡したチョコレートのCMで指揮する姿、あるいは別のCMで高見山らと共に纏を振る姿であろう。

 彼はかように身近にいた。いや、身近にい過ぎた。こうしたイメージが、世間に桁外れの才能を見失わせ、2002年の逝去後、忘却へと向かわせている。

 1932年に生まれた彼は、作曲家の父のもと、3歳から音楽教育を受け、完璧な絶対音感を身に付けていた。何しろ小学校低学年時の日記に「今日はベートーヴェンの第1交響曲の出だしの和音を勉強してきました」と書いているほど。その和音は音楽理論的に特別な音であり、子供が学ぶレベルを遥かに超越していた。

 直純の絶対音感については、名指揮者・岩城宏之が語るこんなエピソードがある。東京藝術大学の作曲科に入学した直純は、打楽器専攻の岩城と共に、副科で著名指揮者・渡邉暁雄のクラスを受講すべく試験を受けた。そのとき渡邉が「今からピアノで叩く和音の中の、上から三番目の音の、五度下の音を声に出してごらん」と言った。指十本を使った目茶苦茶な不協和音だ。すると直純は即座に正解を出した。岩城は「こんなことをできるやつは、日本に何人といないだろう。先生自身、絶対にできないに決まっている」と呆れ返った。

 直純は、指揮法を理論化した「齋藤メソッド」で知られる大教育者・齋藤秀雄に早期から指揮を学び、その教室で3歳年下の小澤征爾と出会った。中学3年の小澤が訪れた時、齋藤は「いま手いっぱいで教えられないから、しばらくは山本直純という人に教えてもらいなさい」と言った。1年間教えた直純は、小澤の問題点をすぐに見抜き、そこを重点的に練習したという。“世界のオザワ”に最初に指揮を教えたのは、齋藤秀雄ではなく山本直純だったのだ。

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