よく耳にする「モヤモヤ」という言葉。便利さゆえに多様されるけれど、奥底には言葉で表現できない気持ちが潜んでいるような……。18歳の時、詩集『適切な世界の適切ならざる私』で中原中也賞を最年少受賞した詩人、文月悠光さん(26)がそんな「モヤモヤ」を詩的読解するエッセイがスタートします。
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どこ? どこなんだ、AERA dot.編集部は……。
その日、新連載の企画を練るために朝日新聞社を訪ねたものの、私は広大なオフィスフロアで迷子になり、冷や汗をかきまくっていた。
「ふづきさーん」
書類やパソコンの陰から、M編集長と担当編集者Kさんの姿が見えた。「……ああ。ここだったんですね。お待たせしてすいません」ととっさに平静を装う私。
初めまして、「生きてる詩人」です。初対面の方に「生きてる詩人って、いたんですね!」と驚かれてしまうことが多いので、最近は少し開き直って、自ら文章の中で挨拶できるようになってきた。
といっても普段から堂々と「詩人」を名乗っているわけではない。この日も、記者たちが粛々と働く「会社」という場の空気に堅くなり(会社員経験ゼロなのだ)内心縮み上がっていた。
詩人とAERA。我ながらあまりに異色な組み合わせで、編集さんを前に顔が引きつる。
詩人として活動している自分が、こんなことを思ってはいけないのだろうけど、「詩人」を名乗るのって、やっぱり微妙に恥ずかしいのではないか。
多くの人にとって、詩人は教科書の中だけの存在か、そうでなければ架空のキャラクターのようなもの。詩人といえば精神薄弱、病気で夭折、酒呑み、破天荒……とネガティブなイメージがつきまとう。このときばかりは中原中也を恨む。
若い女性が詩を書いているというだけで、「痛いポエマー」「メンヘラ」扱いされてしまうのも納得がいかない。ポエマーは「夢見がち」「軽んじてもいい」みたいな風潮。
そうしたモヤモヤした気持ちを、私は初めてのエッセイ集『洗礼ダイアリー』に綴った。その一冊を手に、M編集長は連載企画についてこんな提案をしてくれた。
「20代の若い人と話すと、自分の中でわだかまっていることを『モヤモヤする』『モヤってる』って表現する人が多いんですよね。そんな日常の『モヤモヤ』をとりあげて、詩人の言葉で読解していくエッセイはどうですか?」