明確な「怒り」や「訴え」があれば、対象に直接投げかけることも可能だろう。だが、「モヤモヤ」は、その曖昧さゆえ、内に抱え込むほかない。まるで自分の一部みたいに。

 仮にペットの写真付きツイートへ「あなたのが死んでしまわないか心配です」なんてリプライを送ったら、ただの意地悪な人だし、「お母さん、私の葬式の遺影は何が何でもコレにして!」と大いに盛れた写真を指定したところで、「はあ、葬式?」と怪訝な顔をされるのがオチだ。ちっともスッキリはしない。

 解消すべく行動を起こすほどでもないが、否応なく煮え切らず、胸の内に溜まっていってしまうもの。簡潔な答えを出せないまま、自分自身をむしばんでしまうもの。それが「モヤモヤ」なのである。

 なるほど、このテーマなら書けそうだ。編集さんたちとうなずき合い、私はホッと息をつく。「新しい連載、がんばります」。打ち合わせを終え、きりっと背筋を伸ばし、席を立つ。

「ありがとうございました。失礼いたします」。

 颯爽と一歩を踏み出した私は、「……あの、ところで」と振り返った。

「はい?」

「その、出口は……どちらでしたっけ……」

 道にも人生にも迷ってばかりの26歳、詩人の私。

 この連載が迷走することなく、読者の皆さんの胸へ届くよう、モヤモヤの神さまに祈るばかりである。

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文月悠光

文月悠光

文月悠光(ふづき・ゆみ)/1991年生まれ。詩人。高校3年時に、第1詩集『適切な世界の適切ならざる私』で、中原中也賞、丸山豊記念現代詩賞を最年少18歳で受賞。エッセイ集に『洗礼ダイアリー』、第3詩集『わたしたちの猫』。ウェブマガジン「cakes」でエッセイを連載中。NHK全国学校音楽コンクール課題曲の作詞、詩作の講座を開くなど広く活動中

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