明確な「怒り」や「訴え」があれば、対象に直接投げかけることも可能だろう。だが、「モヤモヤ」は、その曖昧さゆえ、内に抱え込むほかない。まるで自分の一部みたいに。
仮にペットの写真付きツイートへ「あなたの猫が死んでしまわないか心配です」なんてリプライを送ったら、ただの意地悪な人だし、「お母さん、私の葬式の遺影は何が何でもコレにして!」と大いに盛れた写真を指定したところで、「はあ、葬式?」と怪訝な顔をされるのがオチだ。ちっともスッキリはしない。
解消すべく行動を起こすほどでもないが、否応なく煮え切らず、胸の内に溜まっていってしまうもの。簡潔な答えを出せないまま、自分自身をむしばんでしまうもの。それが「モヤモヤ」なのである。
なるほど、このテーマなら書けそうだ。編集さんたちとうなずき合い、私はホッと息をつく。「新しい連載、がんばります」。打ち合わせを終え、きりっと背筋を伸ばし、席を立つ。
「ありがとうございました。失礼いたします」。
颯爽と一歩を踏み出した私は、「……あの、ところで」と振り返った。
「はい?」
「その、出口は……どちらでしたっけ……」
道にも人生にも迷ってばかりの26歳、詩人の私。
この連載が迷走することなく、読者の皆さんの胸へ届くよう、モヤモヤの神さまに祈るばかりである。