小籔千豊 (c)朝日新聞社
小籔千豊 (c)朝日新聞社
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 お笑い芸人になることを夢見て吉本新喜劇の舞台に立ち、大先輩らと共演するも芽が出ず、芸能界を去った新津勇樹さん。今回は新喜劇座長の小籔千豊さんとの思い出を紹介する。

『人志松本のすべらない話』(フジテレビ)でその名を全国区に知らしめた、吉本新喜劇座長・小籔千豊さんは、飛ぶ鳥を落とす勢いで、2011年、東京の新喜劇にも活動の幅を広げることになった。そして運良くも私は、小籔千豊さんの新喜劇に出演することになったのだ。今回は、その時のお話をしたいと思う。

 出演が決まり台本を覗くと、私の配役は小籔さんに因縁をつけるチンピラA、BのBだった。Aは、先輩芸人であり、二人で小籔さんに喧嘩をふっかけるシーンに登場する。吉本新喜劇では、チンピラ役をやる時は、大体怖い雰囲気の人間が出てきて、何か脅しネタをやるのが一般的である。

 しかしだ、私はここで敢えて小籔さんに挑戦の意味も込めて、それまで温めていたキャラクターで攻めようと考えた。それが、おそ松くんのイヤミである。私は、目が細く鼻下にヒゲも生やしていたので、イヤミに似ていると先輩芸人に言われたことがあり、一度イヤミとしてR1グランプリに出たこともあった。結果は一回戦で大スベりして敗退。「シェ!!」と言って舞台を掃けた以外は全く覚えていない。しかし、そんなイヤミを是非、小籔さんの前でお披露目して汚名返上したいとの思いから、チンピラ役Aの先輩に志願してイヤミのキャラクターをやることになった。

 吉本新喜劇では、こういうネタをやるという事を事前に絡む相手に伝えるのが基本であり、私も座長である小籔さんに意を決して伝えに行った。「イヤミをやらせてください」と。

「シェ~」と小籔さんがイヤミ張りに驚くわけはないが、意を決して東京に活動の場を移し、これから小籔劇場を全国に広めようという時期に、私のような末端の若手が、R1でクスリとも笑われなかったおそ松くんのイヤミをやって、舞台を台無しにしたら小籔さんの足を引っ張ることになる。そんな一抹の不安もあった。

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