もう一つ、内閣人事局をなくせという批判は、実は官僚たちが「安倍憎し」と思っている記者たちを誘導して書かせているという面が少なからずあることに気づかなければならない。これを機に、大げさに問題を指摘して、昔の「官僚主導」を取り戻そうというわけだ。

■政治主導そのものは間違いではない

 そもそも「政治主導」の考え方には暗黙の前提がある。それは、内閣は国民のために仕事をするという前提だ。

 憲法の考え方に基づけば、内閣は国会で選ばれる総理大臣が作るのだから、当然国民のために働くと想定されている。逆に言えば、官僚が行政においてどんなに重要な役割を果たすとしても、内閣と違って、国民あるいはその代表である国会に対して直接責任を負わない以上、官僚が主役になることは許されない。

 簡単な例を挙げればこういうことだ。大臣の指示に対して、官僚が「それはおかしい」と言って従わなかったらどうなるか。国会によって選ばれた総理と総理が選んだ閣僚の意思よりも官僚の意思が優先することになる。それでは、主権者たる国民の声が行政に反映されなくなり、国民の権利の侵害、すなわち、国民主権の否定につながる。

 官僚は内閣の指揮を受けた大臣に従うのは当然で(国家公務員法上も官僚の人事権は大臣にある)、それに従わない官僚は人事上の不利益を受けて当然。逆に内閣の方針に沿って実績を上げた官僚が出世するのも当然ということになる。

■安倍政権は想定外の怪物だったのか?

 ところが、加計学園の問題で露呈したのは、本来国民のために働くはずの内閣、とりわけ総理が、自己の利権のために仕事をしているという疑惑だ。これでは、官邸主導は、総理個人の利益追求を助長する仕組みになってしまう。憲法が想定したのとは全く逆の事態だ。

 また、官邸(内閣)主導と言いながら、実は総理独裁になっているのではないかという問題もある。憲法では、行政権は内閣に属するものとされ(65条)ていて、決して総理個人に属するものではない。したがって、現在安倍政権が批判されている様々な問題については、果たして「内閣」による行政として行われているのか、あるいは、それを逸脱した「総理個人」の意向で行われているのかという問題を明らかにしていくことも必要だ。

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