■神聖な病気
豊かな人間味で軍や人民に絶大な人気を誇ったカエサルではあったが、彼には困った持病があった。スエトニウス は『ローマ皇帝伝』で「晩年のカエサルは突然意識を失うことがあり、全身の痙攣発作が2回あった」としている。プルタークの『英雄伝』には「最初の発作はコルドヴァで起きた」「タルソスの戦いの時にはカエサルは陣中で指揮を執っていたが、発作の前兆を感じて馬をおり、病が過ぎるまで付近の塔の中で休んだ」と記される。
てんかんは突然意識を失うことや前兆としての恍惚感や神秘体験からギリシア・ローマ時代には「神聖な病気」と考えられおり、ヒポクラテスが脳の病と指摘したが、原因は長く不明であった。1870年Jacksonが発作は脳の現象であることを、1929年にはBergerが脳の電気的異常であることを明らかにする。原因は様々であるが、神経細胞のある集団が一斉に同期化することを特徴とする。カエサルにてんかんがあったとすれば原因は何であったのだろうか。
■命びろい
中高年期のてんかんは、外傷や脳血管障害の後遺症あるいは脳腫瘍などに続発するものが多い。戦場で過ごすことの多かった彼の場合、刀槍や投石などによる戦傷が原因となっている可能性は否定できない。ただローマ軍では総大将が陣頭に立つという習慣はなく、カエサルがそのような負傷を受ければ必ず記録に残っているはずである。脳腫瘍や脳動脈硬化、微小な出血や梗塞の疑いもある。協調的だった彼が晩年に性格が変わって独裁者となったのはこれらの器質的変化が根底にあった可能性も否定できないが、麻痺など神経学的症状の記録はない。
カエサルとクレオパトラの息子カエサリオンにはてんかんの持病があったというし(そのためにインドへの亡命途中砂漠で倒れ、オクタヴィアヌスの軍勢に殺害された)、彼の一族であるローマ帝国第3代皇帝カリグラや、カリグラの従弟だったブリタニクスにも子どもの頃から発作を繰り返していたという記録があるので、家族性(遺伝性)ではないかという説もある。幼少期の発作の記録はないが、若年のカエサルは病弱だったので政敵スッラが殺害を思いとどまったという。そうなると、てんかんに命を助けられたことになるのかもしれない。
(メディカル朝日連載「歴史上の人物を診る」から)
