安倍政権の支持率急落という絶好の好機に二重国籍問題などで孤立した蓮舫氏が代表を辞任するなど相変わらずの民進党。元SEALDsの訪原健さんがそんな民進党にかねてより抱いていた違和感とは?
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「野党共闘」で戦うことが注目された、2016年夏の参院選。安保法制以来の市民運動の流れの中で、私自身も連日応援演説のために路上に立った。応援演説では様々な党の議員と一緒になるが、その中でも最も顔をあわせることが多かったのが民進党議員である。
当時の私は、民進党に対していささか不信感を覚えていた。安保法制が成立した直後から、市民団体と野党との会談はたびたび行われており、「野党・市民共闘」に向けた議論が積み重ねられていた。それにもかかわらず、時折民進党議員から、特定政党や市民団体との協力に否定的な声が上がる。そんなこともあって、この政党は一体これからどうしたいのかという思いを抱いていたのだ。
しかし個々の政治家の「生」の声を繰り返し聞いていると、その思いはだいぶ晴れることとなった。彼らは安保法制や現政権による改憲、アベノミクスへの反対はもちろんだが、社会保障政策の見直しなどを通じて、多様な個人が生きやすい社会を目指す必要性を語っていた。しかもそこには相当な熱意が込められていた。思っていたよりも、野党に期待できるのではと感じるほどだった。
そう感じる一方で、ずっと腑に落ちないこともあった。それは多くの民進党議員が「二大政党制」をキーワードにしながら演説を締めくくることだ。
「政権交代可能な二大政党制の実現のために…」
「二大政党の一翼として責務を果たしていくために…」
そういう枕詞をつけて、候補者や党への支援を訴えるのだ。もちろんバランスのとれた民主的な議会のあり方を模索するのは重要であるし、民進党にいたる歴史的な経緯を踏まえれば、彼らの語りは必然なのかもしれない。
しかし「政権交代可能な二大政党制の実現のために…」と言われると、私たち有権者は、どこかおいてけぼりな気がしてならないのだ。政治というものは、社会的なエリートによる高尚な理念の実現のためにあるのだろうかとすら思えてくる。