彼らの目から見ると、とりわけ、文科省はがんじがらめの規制で学校や教育者をしばり、その陰で天下り利権を守る、とんでもない抵抗勢力そのものである。私も長年規制改革に携わっていたが、確かに、文科省は、ルールを作って学校を管理するのが仕事だと考えている面が強く、教育の質を限られた予算の中で向上させるためのイノベーションを生み出すということにほとんど関心がないように見えることも多かった。少なくとも、彼らが正義の味方だという見方ははっきり言って間違っている、ないしは極めて一面的だと思う。
ただし、諮問会議のメンバーが言うほど、文科省が悪の権化だというのも行き過ぎである。財務省や経済産業省も文科省と全く同様に天下り先確保のために様ざまな規制や予算措置などで行政を歪めている。つまり、どちらも脛に傷を持つ身だということだ。
しかし、どうして、彼らの間には、こんなにも深い溝があるのだろう。不思議なようにも思えるが、よく考えると、実は、それが当然だということに気づく。なぜなら、彼らは、お互い全く異なる世界に住んでいるからだ。
●民間有識者と文科官僚の主観的な風景は全く異なる
諮問会議有識者の多くは、経済学者や経産省などの元官僚、あるいは経済界出身者である。したがって、頭の中が、基本的に経済学の原理に支配されている。その基本的考え方は、なるべく規制はなくし、政府が余計な口出しをせず、競争原理で淘汰を進めることで社会が進歩するという筋書きだ。この考えをあらゆる分野に適用しようとする。そして、消費者利益の最大化を考える目線に立つ。これは、一般論で言えば決して間違いではない。
一方の文科省は、教育は淘汰して勝者を選んでいくものではないという考え方に立つ。すべての子供たちが敗者にならないように支え育てるのが教育だという考え方だ。もちろん、教育の過程で競争というものも取り入れるが、あくまでもそれは、全員が前に進むためのものであって、勝者と敗者を線引きするためのものではないと考える。競争の勝者が教育の成果をより多く受け、敗者はこれをあまり受けられないというのは正義に反すると考えるのだ。教育を受ける者の利益を最大化するという目線が基本だ。