最初から安定した強さを有しているコンピューターとはそこが決定的に違います。よく言われることですが、コンピューターに悩みやプレッシャーはありません。いくらコンピューターが強くても、先ほど述べたような人間的なプロセスを乗り越えてきているわけではない。
強いコンピューターというのは、開発者のプログラミング能力、また人間的な意味で言えば開発に懸ける情熱とか、そういうものが評価されています。ただそれは、人間の将棋の強さとは別の軸にあるものだと思うのです。
人間とコンピューターとの戦いがなかなか熱戦になりにくいのも、両者の将棋が別の軸にあることの現れだと思っています。なぜ白熱した戦いになりにくいか。それは人間とコンピューターがもっている「価値観」、つまり局面を読む考え方が根底から違うからでしょう。
そして、その相容れないまったく別物の強さを競わせたのが、この棋士対コンピューター戦でした。その結果、コンピューターのほうが強くても、人間の強さが魅力や意味を失うわけではないでしょう。
もちろん、名人という存在がコンピューターに負けた今、ファンの方がガッカリする気持ちも当事者として痛いほど共有しています。いままで人間同士の素晴らしい戦いを観てきて、最強棋士のすごさを体感してきた。そういう中でソフトという新しい存在が出てきてそれに負かされたら、人間は感情の生き物である以上、落胆するのも当然だと思うのです。
ただ実は、人間とコンピューターの強さというのは秤にかけるものではなくて、それぞれが固有の良さを持っているものだと思うのです。
人間対人間、人間対コンピューター、コンピューター対コンピューター。大きく分ければこの三つになると思いますが、これらはそれぞれに独立した魅力があって、お互いを阻害するものではありません。そこを分けて考えることが大事なのではないでしょうか。
もちろん棋士も傍観しているわけにはいきません。現状、コンピューターに強さの面で軍配が上がったという事実がある中で、どのように将棋の魅力を発信していくのか考えなければいけません。例えば人間の強さというのは何なのか、どういうところに意味や魅力があるのか。
現状は、まだファンや世間に向けてアピールが不足していると思います。私も今回のポナンザとの戦いを自分なりに咀嚼して考えて、そして自分の将棋に還元して、ファンの方に観ていただきたいと考えています。
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