今年3月に昇進した第72代横綱・稀勢の里関が5月4日、生まれ故郷の茨城県・鹿島神宮で奉納土俵入りを披露した。2万5000人の参拝客が集まったというから、地元の期待度の大きさがうかがい知れる。さらに6月9日には、勧進相撲発祥の地といわれている富岡八幡宮での奉納が行われた。せっかくなので、今回は富岡八幡宮を紹介したい。
●土俵の発明と勧進興行
現在の大相撲の興行としての基礎は、勧進相撲が元になっている。お寺や神社が社屋などを普請する際の浄財(寄付)を集める手段として、相撲の観戦収入を利用していたのだ。古くは宮廷行事として始まった相撲だったが、やがて武士の時代になり、各武家のお抱えとなった力士が家名をかけて戦う場所を、寺社が提供したというわけである。江戸時代になると勧進相撲の人気は一層高まったが、荒い気風が蔓延(まんえん)、トラブルも多かったことから徳川3代将軍・家光の時代に禁止令が出された。
問題解決の方策が考えられ、試行錯誤の末、それまで規定がなかった土俵の形を丸くすることで、取り組み相手以外とのいざこざが減り、綱吉の時代に制限がようやく緩和された。これにより、深川の富岡八幡宮で勧進相撲が復活。現在の大相撲につながる形での勧進相撲は、この時完成したといわれている。
以降、江戸だけでなく京都、大坂などでも興行が始まり、吉宗の時代には春夏秋冬に全国4カ所で興行が行われる体制が確立した。
●稀勢の里関も無事奉納
富岡八幡宮が勧進相撲発祥の地とされているのはこういった背景からだが、これに加えて境内に建立されている「横綱力士碑」が相撲との関わりを一層強くしている。高さ3.5メートル、幅3メートル、重量20トンもの碑は、1900年に第12代横綱・陣幕久五郎が発起人となって作られたもので、裏面には歴代横綱の名前が刻まれている。初代横綱・明石志賀之助に始まる数字が、稀勢の里関の72代へとつながっている。
一時中断していた時期もあるが、新横綱はこの碑への刻名式と横綱土俵入りを行うことが恒例となり、6月9日、稀勢の里関も歴代横綱と同じく、富岡八幡宮の境内で刻名奉告祭が行われた。