久保のコンディションもいまひとつだったが、右サイドに右利き、つまりサイド方向と同じ利き足の選手が入ると、この状況に陥りやすい。久保が右足でコントロールすると、自然と相手にボールをさらす格好になってしまうのだ。そこに出足の速いシリアが襲いかかってくる。久保はプレッシャー負けしていた。
もちろん、久保の右サイド起用がすべて悪いわけではない。裏へ飛び出せるし、クロスもうまいし、切り返したときはシュートを左足でズドンと打てる。しかし、そのすべてを消したのがシリアだった。こうすれば久保は封じられるんだよと、本番のワールドカップ予選イラク戦を前に、『シリア先生』にご教授いただいたのはありがたい。
そこでハーフタイムに久保に代えて入ってきた、左利きの本田が戦術的な意味を持ってくる。
右サイドで相手にボールをさらしがちになる久保とは違い、本田が同じ場所で左足でボールを持つと、相手から遠い位置に置いてキープしやすい。これは左ウイングの原口元気をイメージするとわかる。原口は縦パスを右足で受け、そのままうまくカットインをしていた。ドン詰まりの右サイドとは違い、日本の左サイドは前半もそれなりに機能していた。原口は前半に4本のシュートを打っている。その精度はいまひとつだが。
逆足サイドに配置されると、相手のプレッシャーを受けてもボールを利き足で受けやすい。これは大きなメリット。本田のところでボールが落ち着くようになると、日本はリズムができ始め、それに応じてシリアの体力はどんどん削られる。シリアが疲労すれば、日本はますますリズムが良くなる。そのきっかけは、久保→本田の交代だった。
サッカーは、流れや循環のスポーツ。良いことはさらに良いものを引き出し、悪いことは、さらに悪いものを引きずり込む。前半の日本も、後半のシリアも、それを断ち切って戦う賢さはなかった。(文・清水英斗)