音楽業界に入るや即、小林さんは大ヒットを連発しているアーティストの担当になり、1998年春に異動になるまで、坂井さんとともに怒涛の日々を送った。
「レコーディングの時は“無”になるんです」
坂井さんはいつも、小林さんに話した。
「“無”になるのはレコーディングだけでなく、撮影や海外ロケの時にも感じました。レコーディングで言えば、坂井さんは歌に集中するために心をニュートラルにするように努めていました。そして、坂井さんが“無”になれるように、スタッフも環境を整えていました。レコーディングエンジニアの島田勝弘さんは早い時間にスタジオに入り、坂井さんの好きなグッズや喉を傷めないための加湿器を用意しました。撮影の時の楽屋もレコーディングスタジオ同様にリラックスできる空間作りを心掛けていて、ふだん夜型の暮らしをしている坂井さんがくつろげるように、ソファや女性ファッション誌などを用意しました。坂井さんの苦手な乾燥を避けるために楽屋でも本人が入るかなり前から加湿器をつけておくのですが、壁が水滴だらけになっていたこともありました(笑)」
また、プロモーション映像のシューティングや海外ロケの時にはこんなことも。
「楽屋からなかなか出ないこともありました。撮影の準備が整っても、心の準備がまだだったのでしょう」
楽屋の中は坂井さんと小林さんの2人だけ。そんなとき、小林さんは坂井さんの肩をほぐすためにマッサージをした。すると、やがて、
「行きます!」
坂井さんは自分に喝を入れるように声を上げ、撮影現場に向かっていく。
「緊張というよりも“無”という状態を作っていたのかなと。だからこそこの時間は重要だったのかと思います」
そしてこんなこともあった。
「1度、メークの濃さが気になった撮影がありました。自然体の坂井さんのイメージとは少し違っていたのです」
総合プロデューサーの長戸大幸氏が指摘すると、坂井さんは女性アーティストでは、ふつうはありあえない行動をとった。
「その場でパシャパシャと洗顔して、すっぴんになったのです」
担当になりたてだった小林さんはあっけにとられた。しかし、坂井さんは、なにもなかったかのように撮影を続けた。
「即すっぴんになった坂井さんの覚悟にも驚きましたけれど、すっぴんでカメラの照明やレフ板に輝く坂井さんの美しさにも驚かされました」
普段の坂井さんもすっぴんかナチュラルメークだった。