「事務所もスタジオも六本木にあったので、移動はいつも徒歩でした。そういうときの坂井さんは、デニム、Tシャツ、キャップというラフなスタイルです。キャップは目深にかぶって、アーティストオーラを消します。それでも、モデル事務所のスカウトマンに頻繁に声をかけられていました」
その場ですっぴんになって撮影に臨んだエピソードが象徴するように、坂井さんはいつも覚悟のある女性だった。
■カラオケでリクエストされた『揺れる想い』
「クルマを運転する撮影のときは、どうしようかと思いました」
小林さんは慌てた。というのも、坂井さんはペーパードライバーで、ふだんはまったくハンドルを握っていなかったのだ。
「当日は、坂井さんだけではなく、私たちもものすごく緊張しました。危険があったら、クルマを体で止める覚悟でした」
しかし、運動能力の高い坂井さんは、最初は戸惑っていたものの、すぐに自動車教習所時代の感覚をとりもどす。心配するスタッフたちの前を涼しい顔で、時には笑顔を浮かべてハンドルを切り、通り過ぎて行った。
坂井さんは、自分を支えるスタッフに囲まれている時には心をほどいた。
「ロンドン・ロケの時にみんなでカラオケに出かけました。坂井さんが仕切って、それぞれが歌う曲を決めていました」
小林さんへのリクエストは「揺れる想い」だった。
「まさか坂井さんご本人の前で歌うことになるとは思いませんでした(笑)」
予想外のことだったが、そこは担当として断るわけにはいかない。
「覚悟を決めて、歌いました。この時、お店にいた日本人旅行者のグループが坂井さんに気付いて、ZARDの曲を歌っていて、日本から遠く離れたヨーロッパで響く自分の歌に、坂井さんはうれしそうにしていました」
感謝の気持ちは、坂井さんはいつも文字でつづってくれた。
「自筆の温かいメッセージカードをいつもいただきました。その1通1通は今も大切にもっています」
坂井さんは、ファンからの手紙への思いも特別に強かった。
「ファンレターも大切にしていました。メディアへの露出が少なく、ライヴもほとんどやらず、リスナーとの接触がなかったからかもしれません。ファンレターはいつもじっくりと読んでいました」
読みながらとてもうれしそうな表情を浮かべていた。
そんな坂井さんは2004年に初めてのツアーを行い、ファンの前に立った。
小林さんは会場でその光景を目にしてつぶやいた。
「やっとファンに皆さんに会えましたね」
1998年、社内で担当替えがあり、小林さんはZARDの担当から離れる。