さて「大徳寺」と言えば映画にも出てくる豊臣秀吉。本能寺の変で命を落とした織田信長の葬儀を、ここ「大徳寺」で盛大に行ったのは秀吉で、それによって信長の後継者であることを天下に知らしめたのです。

 そしてその葬儀を「大徳寺」で行うように進言したのは茶人、千利休。

 利休と秀吉。長く蜜月関係を保ってきたのですが、最後は悲劇的な別離となります。そのきっかけとなったのが、大徳寺内になる<金毛閣>と呼ばれる山門。秀吉の名とともに「大徳寺」の名も一躍世に名高くなり、単層の山門を立派な楼閣造りに改築することになります。それを取りしきったのも利休だったこともあり、寺方は感謝の意を込めて、雪駄履きの利休の木像を<金毛閣>の楼上に安置したのです。

 ところが「貴人も通る山門の上に自らの像を飾るなど、なんたる慢心、驕りか」と秀吉の逆鱗に触れ、切腹を命ぜられる結果となってしまいました。もちろん、ただこの木像のせいだけではなく、茶道を通じて強大な権力を持つに至った利休の力を秀吉が恐れたからでもあるのでしょう。

 いずれにしても、今も残る山門が天下人と偉大なる茶人が反目するきっかけとなったことは間違いがないわけで、それを今も目の当たりにできるのが京都という街です。

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