
リオ五輪で、カヌー競技では日本人初のメダリストとなった羽根田卓也選手。海外に活動の場を移した理由やスロバキア留学時代の苦労話、そして引退後の目標などを現在発売中の『AERA English2017春夏号』(朝日新聞出版)で語ってくれた。
* * *
リオ五輪のカヌー・スラローム男子カナディアンシングルで、アジア選手初のスラローム種目銅メダルに輝いた羽根田卓也選手。メダル獲得後、とりまく環境は一変した。
「メダルを取れば、競技と僕自身の認知度が上がると思っていました。予想通りのことが起こってほっとしたというか、うれしいです」
リオの大舞台は「人生をかけたレース」といっても過言ではなかった。
海外に目が向いたのは中学3年のとき。
「世界の大会に出るようになったのですが、海外の練習環境を見て、世界で戦うためには日本にいてはいけないと思いました」
中学、高校時代を通じ、英語はあまり得意ではなかったが、海外遠征で外国人と接する機会は多かった。
「海外の選手と一緒に練習したり遊んだりしながら、英語でコミュニケーションをとりました。そうするうちに、学校の英語の授業も真剣に聞くようになりましたね」
高校卒業後、単身でカヌー強豪国のスロバキアに渡ることを決意。
「英語で現地のカヌー連盟に問い合わせ、師事したいコーチに連絡を取って交渉しました」
スロバキアでは、田舎町で練習生活を送った。現地では珍しい日本人。子どもたちが"日本人見たさ"に、練習場に来ることもあった。
師事したコーチはスロバキア人で英語があまり得意ではなかった。そのため、コミュニケーションをとろうとスロバキア語を学び始めた。
「日本人がスロバキア語を話すのは珍しいので、喜んでもらえました。それがうれしくてどんどん単語を覚えるようになり、しゃべれるようになりたいという意欲も湧いてきました」
スロバキア語を身につけた羽根田選手は、練習のかたわら、現地の大学に進学。コーチング学を学び、論文は英語で書いた。
「スロバキア語を勉強することで、英語もすごく上達しました。文法が似ていたり、英語に生かせる部分が多かったんだと思います」
そのまま大学院に進み、修士課程を修了。現在も、1年の半分以上を練習拠点であるスロバキアで過ごす。今後は時間ができた分、英語の勉強にさらに力を入れたいと考えている。
「スロバキアで英会話学校に通い、機会があればTOEICも受けたいですね。いずれ競技を引退した後、ビジネスシーンで不自由なく交渉できるくらいの英語力は身につけたいと考えています」
(取材・文/吉川明子)
※『AERA English2017春夏号』より