一本芯の通ったプレースタイルに戦略性と攻撃力を加え、体力強化と実戦経験により磨きをかけたのが、米国フロリダ州のIMGアカデミーでの日々だろう。錦織圭を見いだした“盛田正明テニスファンド”の支援を受け、西岡も15歳で“テニス選手養成所”と呼ばれる地へと旅立っていく。ただしその始まりには、いくつかの運と偶然の助けもあった。

 11歳の時にはプロになると決意した西岡は、世界への切符を求め盛田ファンドの選考テストを受けるも、2度落ちる失望を味わった。本来ならないはずの3度目のチャンスが巡ってきたのは、本人曰く「奇跡みたいなもの」。IMGからコーチを招き行われた国内の練習会に、あまり乗り気でないながらも参加した西岡は、そこで急きょ開催された選考会に受かる。渡米したのは、緊急選考会から僅か数カ月後のこと。彼はキャリア最大の転換期においても、いわば“ラッキー・ルーザー”だった。

 ラッキーは多くの人に巡ってくるだろうが、その機を生かせる者はそうそう居ない。西岡はそれができる、稀有な資質の持ち主だ。ラッキー・ルーザーとして出場したインディアンウェルズ・マスターズで初戦を勝ち抜いた彼は、2回戦でビッグサーバーのカルロビッチを撃破。続く3回戦では、2010年7月から昨年の10月までトップ10に座し続けたトマシュ・ベルディヒを、奇跡的な大逆転勝利で破ってみせた。第2セットで敗戦まで1ゲームに迫られてなお、彼はベルディヒのサーブのコースを分析し、勝利が近付きナーバスになる相手の心の揺らぎを読む。見つけた小さな綻びに食らいつき、長いラリーを続けながら勝機を紡ぐプレーの根底にあるのは、「ジャンケンでも、どうやったら勝てるか考える」という姿勢で培った、洞察力と集中力。

 その武器が世界のトップ相手に通用することを、彼は4回戦のスタン・ワウリンカ戦で再認識する。多彩な回転のショットを操り、弱点をつき武器を封じる理詰めのテニスは、世界3位を敗北の2ポイント手前まで追い詰めた。最後は、蓄積した疲労と経験の差が両者を隔てたが、本人をして「今日の試合は自信になるし、今後につながる」と言わしめる、勝敗以上の意味を持つ一戦だった。

「色んな可能性が見えてきた」。

 インディアンウェルズでの濃密な6試合を戦い終えた時、彼はそう言いきった。チャンスを揺るぎない実績に変える“幸運な敗者”は、ここから再び、キャリアの次なるステージへと歩みを進める。(文・内田暁)

[AERA最新号はこちら]