1年の浪人生活を経て、香川医科大学へ。
「医学部に入ってもビジョンが全然見えなくて、授業もろくにとらずにバイトしたり、釣りをしに行ったり。無為に過ごしてましたね」
それでも、見学や実習をするなかで、選択肢の一つに「救急」というのが浮かび上がった。救急は当時もサブスペシャリティーが必要で、脳外科かなと、ぼんやり思っていた。叔父が研究者だったこともあり、研究もやってみたかったという。
臨床実習が始まり、実際に産婦人科に行き、母子ともに瀕死の状態というのを初めて目の当たりにした。これこそが救急医療の一つだ、と思ったと言う。
「産婦人科は外科的要素も内科的要素もあり、生殖医療や周産期というのは産婦人科にしかない分野。半分モラトリアムのような気持ちで、何に適性があるかわからないからこそ、なんでもできる産婦人科医を選びました」
■全力で奮闘し生の奇跡をつなぐ
更年期の女性、老年期の女性、生まれたての子どもに至るまで、「産婦人科のお得意様は人類の半分」と語る。ホルモンという切り口でも、女性の人生の曲がり角では必ずお目にかかる仕事で食いっぱぐれはないと思えた。
「何より、産婦人科医はこの先80年を生きる子どもを育むという意味で、未来をつくる大事な仕事」
そう、胸を張る。出産の現場では母子の命を守るためにいつも全力で奮闘する。95%のお産は問題ないが、残り5%を救うために日々、生の奇跡をつなぐ。主人公サクラの台詞、「ボクらは毎日、奇跡のすぐそばにいるから」は荻田医師の率直な思いでもある。(文・石川美香子)
※アエラムック『AERA Premium 医者・医学部がわかる』より抜粋