平昌五輪へ復活が求められる浅田真央(写真:Getty Images)
平昌五輪へ復活が求められる浅田真央(写真:Getty Images)

 12月25日に閉幕した全日本フィギュアスケート選手権(大阪府門真市・東和薬品RACTABドーム)で12位となり、今季の日本代表を逃した浅田真央(26)。キャリア一番の正念場で自身最高・女子最高難度のジャンプ構成に挑み、「挑戦したことに悔いはない」と言い残した。

 矜持を見せながらも、世界の舞台を前に今季のトップシーンから去ることになったが、浅田はいま、“真央スイッチ”が入っている。最初にそのスイッチが入ったのは、2010年バンクーバー五輪に向かう時だろう。3アクセル(3回転半ジャンプ)計3本の構成に挑み、五輪本番で成功(ギネス記録)。肉体改造に励み「なにがなんでも決める」と、若さで駆け抜けた。

 そのバンクーバー五輪直後に、2度目のスイッチが入る。五輪で3アクセルを決めたものの、利があったジャンプに難があり苦しんでいた浅田。ソチ五輪に向け「もう一度、自分のジャンプを取り戻す」と、それまで培ってきた全ての技術を捨て、ジャンプの根本となるスケーティングの改新に挑んだ。それはむしろジャンプを悪化させるリスクをはらんでおり、トップアスリートの競技人生をかける挑戦となる。不安はなかったかと後に尋ねると、バンクーバー五輪フリー翌日に計画を立て「まっすぐに」ソチへと駆け出したという。

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